省力化、エレクトロニクス化の進展する印刷製版分野への新たな対応
印刷製版業界で技術革新が一段と進行する中で、当社は、1979年(昭和54年)11月、明室タイプ密着用フィルム“フジリスUVコンタクトフィルム(KU)”を発売し、その後もホワイトライトシステム用フィルムの品種整備を行なう。1982年(昭和57年)には、迅速リス現像処理“Super HSLシステム”を、翌年には、明室処理専用の迅速現像処理“FSLシステム”をそれぞれ発売する。この間、明室タイプの“フォトマスクメーキングシステム”を発売し、マスク作業の大幅な合理化を実現する。さらに、PS版の高感度化を進め、“FNH”を開発する。また、1982年(昭和57年)8月、電子写真方式によるダイレクト刷版“ELPシステム”を発売し、軽印刷分野に導入する。
印刷製版システムにおける技術革新
印刷製版業界では,1980年代に入って,コンピューター化・エレクトロニクス化に伴う技術革新が,次のように急ピッチで進行してきた。
- 製版フィルム処理の迅速化と明室化
製版工程へのエレクトロニクス技術の導入による高能率化に伴って,フィルム処理スピードの迅速化の要請もますます強くなり,また,フィルム取り扱いの明室化が急速に進んできた。 - カラースキャナーの全盛と多様化
ドットジェネレータータイプのカラースキャナーの普及が進み,スキャナーの機能向上,すなわち,スピードアップや大型化・インテリジェント化などが進展し,また一方,廉価タイプのカラースキャナーやモノクロ専用網かけスキャナーも登場してきた。 - レイアウトスキャナーシステムの登場
カラー製版工程において最も人手・時間・材料を必要としている工程は,貼込み・合成・修正の作業であり,1970年代の後半から,この工程をすべてコンピューターによる画像処理に置き換えて合理化することを目的として,レイアウトスキャナーシステムが開発されはじめてきた。 - エレクトロニクスの文字組版への活用
1980年代に入って,ワードプロセサーの入力機としての利用が普及しはじめ,また,小型低価格電算写植機も開発され,電算写植機は急速に増加してきた。また,全ページの組版・レイアウトをコンピューターを用いてトータル的に行なうフルページネーションも登場してきた。 - 高感度PS版の導入
1970年代に入って,電子写真あるいは銀塩写真方式によるダイレクトプレートメーキングシステム、あるいはカメラプレートメーキング,プロジェクションプレートメーキングなど,新しいシステムが種々開発され,軽印刷・社内印刷分野などに実用化されてきた。
'84写真製版機材展における当社ブース
このほかにも,版下(製版に適するように作られた文字・図形などの原稿)作成の自動化や色校正システム,また、水なし平版の商品化など,印刷製版の各分野で急速に技術革新が進んでいる。
このような情勢の中で,業界では,経営環境の変化と技術革新に対応できる企業体質を推進するために,1980年(昭和55年)から第2次構造改善計画をスタートするとともに,引き続き,自動化・工程合理化・省材料化の方向が進められてきた。
当社では,この技術革新のテンポと業界の動向に対応して,市場のニーズを的確に盛り込んだ商品開発をタイミングよく進めるため,1982年(昭和57年)11月,印刷システム開発部を新設し,また同時に,グラフィックアーツ部を印刷システム営業部と改め,マーケティング体制の強化を図った。
製版工程の処理の明室化
フジリスコンタクトフィルム群
(レーベル)
フジリスストリッピングフィルムSU
(レーベル)
フジリスデュプリケーティングフィルムDU
(レーベル)
製版工程のうち,撮影・分解工程では,ダイレクトスキャナーや製版カメラの自動露光制御装置によって,効率化・迅速化が進む一方,刷版工程でも,PS版と自動処理化の普及により,工程の標準化・省力化・自動化が進んだ。両工程の中間にある密着返し・貼込みなどの集版工程では,機械化しにくく,手作業が主流であり,そのうえ,一つの版を完成するのに十数回も密着返しを繰り返さなければならないケースも少なくない。そうした複雑で細かい作業を照度の低い所で行なうと,指示書の読み違いやマスクのかけ間違い,そしてゴミ・汚れの見落しなど,ミスの発生機会が多くなるので,白灯下の明るい部屋で作業ができるフィルムの開発が強く要請された。
この要請に対応して,当社は,1979年(昭和54年)11月に,白色光(ホワイトライト)下で作業ができる密着返し用フィルム“フジリスUVコンタクトフィルム(KU)”を発売した。
“KU”は,紫外線には感光するが可視光にはほとんど感光しないように,可視光を吸収する染料の添加や減感剤などの開発により,可視光域の感度を大幅に低下させ,明室処理を可能にしたものである。
当社は,この“フジリスUVコンタクトフィルム(KU)”を使用する明室処理システムを“ホワイトライトシステム”と名付けた。このホワイトライトシステムは,作業時間の短縮や失敗の減少など,返し作業が明室で行なえる効果が非常に大きく,併せて,間仕切りが不要となり,スペースの有効活用が図れ,作業進行もひと目で確認できるなどの長所が認められ,急速に普及した。
その後,このホワイトライト用“フジリスUVコンタクトフィルム(KU)”を改良し(名称も“フジリスコンタクトフィルムKU-S”と変更),また,用途に応じた品種の整備を行なってきた。
1981年(昭和56年)9月,網版に文字を入れるなどの重ね焼きに適する“フジリスコンタクトフィルムKU-H”を,翌1982年(昭和57年)9月,世界で初めて網階調が変えられる調子可変タイプの同“KU-V”を,さらに同年10月,複製用“フジリスデュープリケーティングフィルムDU”および文字線画修正のはく離用“フジリスストリッピングフィルムSU”を,それぞれ市場に導入した。引き続き,1983年(昭和58年)10月,“KU-S”の性能をグレードアップし,一段と高い作業性を実現する明室フィルム“フジリスコンタクトフィルムKU-L”を,翌1984年(昭和59年)1月には,網ネガ・線画ネガからの版下作成に最適な明室ぺーパー“フジリスコンタクトペーパーKU-100 WP”および樹脂版焼付適性のよい“フジリスコンタクトフィルムKU-V100M”を,それぞれ発売し,用途に応じた高品質の写真感光材料を整備して,作業効率の大幅な向上を図った。
“Super HSLシステム”の開発
富士製版フィルムプロセサー
FG660
当社は,製版工程の高品質化とフィルム現像処理の安定化を目指して,1977年(昭和52年),“富士フイルムHSLシステム”を開発したが,その後も引き続いて,現像処理時間を短縮するシステムの研究を進めてきた。そして,“Super HSLシステム”を開発し,1982年(昭和57年)9月から発売した。
“Super HSLシステム”は,品質劣化を起こすことなく,現像処理時間を大幅に短縮することを目標としたもので,新たにAID技術(Activated Infectious Development Technique,高活性伝染現像技術)を開発し,この新技術を用いて,伝染現像効果が活発で,なおかつ安定性の高い現像液を商品化して,この課題を解決した。
このシステムは,これまでのフィルムや現像設備がそのまま使用でき,現像時間は従来よりも40%短縮して60秒とすることができ,製版作業の生産性と作業効率の向上に寄与することができた。
なお,1982年(昭和57年)11月には,新たにSuper HSLシステム専用で,従来のプロセサーの2倍の処理能力をもつ自動現像機“富士製版フィルムプロセサーFG660”を発売した。これは,マイクロコンピューターを搭載し,リスフィルムのそれぞれの品種に対応して最適な処理が行なえるよう,処理時間や処理温度・乾燥温度,そして補充量などをCRT画面との対話を通して設定でき,現像液を自動的に管理できるようにしたもので,ユーザーのプロセサー管理に多くのメリットをもたらした。
“FSLシステム”の開発
富士製版フィルムプロセサー
FG660F
密着返し作業の明室化が進む中で,フィルム処理の迅速化・安定化が強く望まれてきた。当社は,これらのニーズに応えるため,処理スピードの速い新しい現像処理システムの研究を行ない,1983年(昭和58年)1月,“富士フイルムFSLシステム”を開発し,発売した。
“FSLシステム”は,新現像処方と特殊な添加剤および画像識別作用を一段と高めるIMD技術(Image Discrimination Technique)を基に開発したもので,明室用コンタクトフィルムを対象とし,キレのよいシャープな仕上がりの高品質を実現し,現像時間も20秒というスピードで安定した処理が可能になった。このシステムは,明室コンタクトフィルム群と新しい現像剤“FSL-1”および自動現像機“FG660F”からなるが,それぞれ既存のシステムとの互換性をもち,既存の自動現像機にFS-1現像剤を入れるだけでも“FSLシステム”として使用できる。
当社が独自に開発したこの“FSLシステム”は,高画質で極めて迅速かつ安定に処理できる画期的なシステムとして,市場で好評をもって迎えられ,前述した“Super HSLシステム”とともに,1983年(昭和58年)2月に,日本印刷学会技術賞を受賞した。
“FSLシステム”とホワイトライトフィルム群との組み合わせによって,密着返し作業は,完全に明室化と迅速化を実現できた。
フォトマスクメーキングシステムの開発
富士フォトマスクフィルム
MA-100
富士フォトマスクフィルム用
プロセサーFGP660
密着返しの集版作業は,製版工程の中でも極めて複雑で,多くの人手を要した。特に,画像の合成や文字・レイアウトの多様化などには,マスク版(必要な部分だけを露光し,不要部分を被覆するように切り抜いた型版)を必要とし,かねてから簡易にできるマスク作成システムの要求が強かった。当社は,マスク作成作業の合理化実現のため,1981年(昭和56年)5月,明室処理の感光性はく離タイプの“富士フォトマスクメーキングシステム”を開発した。このシステムは,“富士フォトマスクフィルムMA-100”,“富士フォトマスクフィルム用プロセサーFGP600”および“富士フォトマスクフィルム用現像剤PD-1”で構成されている。
“フォトマスクフィルムMA-100”は,PETベース上にはく離層があり,その上に感光層が塗布されている。版下から作られたネガフィルムと密着し,水銀灯で露光し,現像処理すると,露光された部分が溶解してなくなる。さらに,マスクを必要としない部分があれば,これをはく離することもできるので,短時間のうちに容易にマスク版ができるシステムで,マスク作業の大幅な合理化が実現した。
高感度PS版“FNH”と軽印刷市場向け“FLPシステム”の開発
FUJI PS-PLATE
FNH(レーベル)
富士全自動電子製版機
ELP-280
ELPマスターおよび処理薬品
富士全自動電子製版機
ELP-404V
版下から直接刷版をつくるダイレクト刷版では,原稿から直接に必要な大きさに縮小拡大して刷版に焼き付けなければならない。そのために,レンズを通して焼付けをするので,ダイレクト製版で使用される刷版用のPS版は超高感度であることを必要とする。これに応えて開発したのが,1981年(昭和56年)12月に発売したネガタイプ超高感度PS版“FUJI PS-PLATE FNH”である。
“FNH”は,密着用リスフィルムとほぼ同等の感度,つまり通常のPS版の約1万倍の超高感度を達成したPS版であり,長年蓄積された写真乳剤技術と刷版開発技術により時代の流れを先取りした画期的なプレートである。
一方,軽印刷の分野でも,近年,ダイレクト製版方式がその製版材料の割安さと取り扱いが容易なため,広く普及してきた。
当社は,この急成長する分野に焦点をあわせ,これまで電子写真罫書き装置“EPM”の開発や中央研究所での基礎研究で培われた電子写真技術を基に,ダイレクト製版システムの開発研究を進めた。そして,VSC技術(Void Space Control Technique,感光層内空間調整技術),CDC(Charge Directing Complex,複合荷電調合剤)などの新技術を開発し,“富士ダイレクトプレートメーキングシステムELPシステム”を完成し,1982年(昭和57年)7月に,東京晴海で開催された「伸びゆく軽印刷展」で発表し,翌8月から発売した。
この“ELPシステム”は,富士全自動電子製版機“ELP-280”と直接印刷版となるマスターぺーパー“富士ELPマスター”,処理薬品(トナー・エッチ液・クリーナーなど)で構成される。マスターぺーパーは,耐水加工紙の支持体に酸化亜鉛や樹脂,そして増感色素からなる感光層が塗布されている。
ELPマスターの感光層は,酸化亜鉛樹脂分散層を用いているが,新しいVSC技術により,高感度で汚れにくい高品質の画像をバランスよく実現することが可能となった。
ELPトナーについても,従来の湿式現像方式では達成できなかった画質の向上と高耐刷性を実現させるために,CDCを開発し,実用化に成功した。
これらの新技術により,“ELPシステム”は,ダイレクト刷版用として,従来のマスター以上の高画質と3,000枚以上の耐刷力の特長をもつことができた。
当社は,その後も引き続き,軽印刷業界の高品質化・高付加価値化・高生産性の要求に応える2種類の新製品を開発し,1983年(昭和58年)7月,発表した。
その一つ,“富士全自動電子製版機ELP404V”は,マイクロコンピューターの内蔵により,数々の自動制御機構を備え,2種のロールマスターを自由に選択できる高速自動変倍製版機であり,同年10月発売した。いま一つは,同年11月に発売した“富士ELP MARKIIマスター”である。“MARKIIマスター”は,支持体にWPペーパーを用いたことが大きな特長で,ELPマスターを大幅に上回る1万枚以上の高耐刷力と優れた寸度安定性・画像再現性を備えた新しいタイプのマスターである。