新規事業分野への進出
当社は、1980年代に入って,これまでの当社固有技術および基礎技術を駆使し・それらの技術を組み合わせて新規事業への進出を図る。一つは、血液検査システムである。写真感光材料、皮膜製品およびセパラックスの製造で培った技術を基礎に、リアルタイムの血液検査システム“富士ドライケムシステム”を開発する。また、DNA解析用の電気泳動膜の開発を進める。一方、エレクトロニクス技術の発展に伴い、ICやLSI製造のためのフォトレジスト(感光性耐しょく剤)分野への進出のため、米国フィリップエーハントケミカルコーポレーションと合弁で、富士ハントエレクトロニクステクノロジー株式会社を設立、新工場を建設し、事業展開を図る。
血液検査システム“富士ドライケムシステム”の開発
第12回世界臨床病理学会議の際の
富士ドライケムシステムの展示
1983年(昭和58年)10月
当社は,先に1964年(昭和39年),血清たん白質の電気泳動分析用フィルム“セパラックス”を開発し,臨床検査分野に進出したが,さらに進んだ検査システムの研究に取り組んでいった。そして,1980年(昭和55年)10月,新しいリアルタイム臨床化学検査システム“富士ドライケムシステム”を開発し,技術発表を行なった。
“富士ドライケムシステム”は,写真フィルム製造で培われた,薄膜を多層同時に塗布する技術やカラー写真の評価技術を応用して開発したもので,検査試薬および血球ろ過機能を多層フィルムにまとめたスライドとアナライザー(精密測定機)とで構成されている。患者から採血した血液(全血)をそのまま用いて,血糖やその他臨床診断に必要な項目をリアルタイムで測定することができる画期的なシステムである。すなわち,従来の分析検査システムでは,患者から採取した血液を静置して血清を分離するか遠心分離するかして,血球成分を取り除き,得た血清や血漿を試料として,大型または専用の自動分析装置を用いて血糖・尿素窒素などの各成分を測定している。しかし,これらの方法では,装置が複雑で高価となり,分析操作に高度の技術が要求されるうえ,検査結果を得るまでに時間がかかるなどの問題点があるため,これらの解決が望まれていた。
当社は,このような要請に応えて,微量の全血を直接試料とし,専門の技術者でなくても,簡便・迅速・正確に測定できる検査システムを目標に,このシステムを開発してきた。採血から検査結果が出るまで6分とほぼリアルタイム方式であるので,診療現場(ベッドサイド)での即時検査・夜間・休祭日の緊急検査などに貢献できるものと期待されている。
このシステムは,世界で初めての全血を用いて化学分析のできる多層フィルム式臨床化学検査システムとして,発表以来,医療関係者から大きな注目を浴びてきたが,1984年(昭和59年)6月,まず“富士ドライケムシステム(GLU用)”として“富士ドライケムスライド”(GLU-W:全血用・GLU-P:血漿血清用)および“富士ドライケム1000”(グルコースアナライザー)を新発売した。GLU用とは,糖尿病の診断上重要な検査である血液中のぶどう糖を測定するものである。引き続き,さらに多数項目の検査ができるようスライドの品種整備と新型アナライザーの開発に取り組んでおり,糖尿病分野以外の多分野への拡大を目指している。
富士ドライケムスライド
(GLU-W,GLU-P)
ドライケムシステムによる血糖値の測定
遺伝子解析用電気泳動膜の開発
遺伝子解析用電気泳動膜の解析
近年,急速に脚光を浴びてきたバイオテクノロジーを支える重要な技術の一つとして,各研究機関で,組み換えDNAの研究が活発になってきた。
科学技術庁では,1981年(昭和56年)から,このDNA塩基配列順解析法の研究を科学技術振興調整費の対象となる重要研究課題として取り上げ,推進してきた。そして,その一環として,同年11月,「DNAの塩基配列決定システムの開発」を当社を含む民間企業3社に研究委託した。当社は,すでに血清たん白質の電気泳動分析用の“セパラックス”を商品化しており,その技術の優秀性が認められるとともに,当社の保有する製膜技術・素材開発技術・評価分析技術を活用し得るものとして,研究を委託された。具体的な研究課題としては「DNA塩基配列決定用電気泳動膜の開発に関する研究」を担当することになった。
研究の結果,製造機によって均一のものができるようになり,かつ,製造の度ごとの変動も減少した。データの再現性も良くなったほか,手作りではできなかった薄膜品の製造もできるようになり,また,泳動膜に保護カバーをつけることによって取り扱いが容易なものになった。
開発過程における試作泳動膜の社外専門家による性能評価は極めて高く,一日も早い商品化を要望されている。
当社は,試作に成功したのに続いて,量産化のための研究を続けており,周辺機器の開発もあわせて行なうことによって,DNA解析システムとしての完成に向かって,努力を続けた。そして,1984年(昭和59年)5月,科学技術庁から,量産化基礎技術が確立したものと認められた。
当社は,引き続き,量産化技術を確立して,バイオサイエンスの研究開発のスピードアップのニーズに応えるとともに,今後,商品化の暁には,これを,当社がこの分野に参入する機会として生かしていく考えである。
富士ハント エレクトロニクス テクノロジー社(現富士フイルムオーリン)の設立
米国フィリップ エー・ハントケミカル
コーポレーションと合弁契約の調印
フォトレジスト(レーベル)
エレクトロニクス技術のめざましい発展に対応し,エレクトロニクス分野への事業展開について,当社は,次の二つの面から進めていくこととしている。
- 当社が展開している商品分野に,エレクトロニクス技術を取り入れて一段とレベルアップしていく。
- エレクトロニクス工業の素材・部品などの分野に直接進出していく。
そして,この第2の面,すなわちエレクトロニクス関連材料分野への直接進出の一環として,当社は,米国のフィリップ エー・ハントケミカルコーポレーションと提携し,合弁で富士ハント エレクトロニクス テクノロジー株式会社を設立し,半導体用フォトレジスト製品の製造販売を行なうこととした。
フォトレジストというのは,感光性耐しょく剤(露光と現像によって形成された画像が,エッチングメッキあるいは蒸着などに侵されない感光材料)のことで,ICやLSIの製造時に極めて重要な役割を果たす素材の一つである。
ICやLSIの製造には,主として,シリコン基板上にフォトレジストを塗布し,それに紫外線あるいは電子ビーム・X線などで回路パターンを露光し,現像処理によってフォトレジストパターンを形成し,エッチングメッキあるいは蒸着などを行なうという方法がとられている。この工程を繰り返すことによって,シリコン表面層に非常に微細な多数の電気回路や電気的に必要な領域を形成する。ICの高集積化・小型化が進むに従って,フォトレジストにも,より一層高解像力が求められ,そのほかにも,感度・密着度・耐熱性・耐侵性・金属分を含まないことなど,特殊な性能が求められている。これらの分野は,当社が長年培ってきた写真感光材料製造技術やファインケミカル技術が,そのまま生かせる分野である。
フォトレジストの製品には,照射された部分のみが現像液によって除去されるポジ型と除去されないネガ型とがあり,関連処理剤として,現像液およびレジストはく離液などがある。ICやLSIの製造のほかに,プリント配線基板や液晶の文字盤,また、微細な金属製品などの製造にも使用され,今後の市場の拡大が見込まれている。
フィリップ エー・ハントケミカルコーポレーションは,米国ニュージャージー州に本拠を置き,1909年(明治42年)創立以来の長い歴史をもち,各種写真用薬品も生産しているが,フォトレジストの分野では,米国のトップメーカーである。そして,世界各国への輸出を進めており,日本市場に対しても合弁方式での進出を図っていた。
フォトレジストについては,当社もかねてから商品化を企画し,研究開発を進めていた。折からハントケミカルコーポレーションに合弁方式の市場進出計画の意向があることがもたらされ,当社は,早期に市場に参入するため,同社との間で交渉を開始した。当社が,写真感光材料の製造についての高い技術力をもっており,品質管理・技術サービス・販売力も優れていることと,この分野へ参入するための強い決意とがハントケミカルコーポレーションとの合意を生むこととなり,この合弁事業契約交渉が成立した。
富士ハント エレクトロニクス テクノロジー株式会社
静岡工場
そして,1983年(昭和58年)7月,両者で合弁事業契約を締結,これに基づき,当社が51%,ハントケミカルコーポレーションが49%の割合で出資し,資本金4億9,000万円をもって,フォトレジスト製品ならびに関連する製品の製造販売を目的として,富士ハント エレクトロニクス テクノロジー株式会社を設立した。新会社の設立後,直ちにハントケミカルコーポレーションと新会社との間に技術譲渡許諾契約を締結,また,当社を含む三者間で,技術実施許諾に関する契約を締結した。
これによって,新会社は,ハントケミカルコーポレーションから,フォトレジストについて,特許および従来のノウハウを含めて日本国内および環太平洋地域で独占的に製造販売するライセンスを受けた。新会社は,当面,ハントケミカルコーポレーション製品の輸入販売からスタートしたが,事業の本格的な展開を図るために,当社吉田南工場敷地内に製造工場ならびにTEC(テクニカルコミュニケーションセンター)の建設を進め,新工場は,同社静岡工場として,1984年(昭和59年)8月から稼動を開始した。
農業用葉色測定分野への応用展開
富士葉色カラースケール
多年にわたる写真感光材料の技術を基礎として,新規産業分野への進出を検討する中で,カラーフィルム生産に関する測色・測光技術を農業分野に役立てることを企画した。
稲の成育過程で,その葉の色を測定し,その色濃度によって栄養状態を観察し,その成長の度合いを定量的に診断しようとするものである。
1976年(昭和51年)ごろから調査を開始し,1980年(昭和55年)4月,葉色測定のものさしともいうべき水稲用葉色票“富士葉色カラースケール”と種々の葉の中の葉緑素含有量を生葉を切り取らないで測定し,数値化できる“富士グリーンメーターGM1”を開発し,販売した。
これらは,各地の大学の研究や全国の農業試験場で活用されたのをはじめ,全国農業協同組合連合会から各地の農業協同組合を経て,漸次,各地の農家でも使用された。
その後も引き続き,日本専売公社の依頼によるタバコ用の摘葉判定用や野菜の施肥量の診断用のスケールなどを開発した。1981年(昭和56年)には,水稲用葉色票は,新しい農業技術として農林水産省の推奨を受けた。
しかしながら,この分野は,市場規模の見通しも難しく,必ずしも当社が直接事業化することに適さない分野であり,本格的な事業化は見送ることとし,1982年(昭和57年)4月をもって,当社としての生産および販売を中止した。