“フォトラマ”の誕生 - フジインスタント写真システムの開発
1981年(昭和56年)10月、当社は、インスタント写真システム“フォトラマ”を発表し、全国一斉に発売する。当社が長年にわたって開発を進めてきた“フォトラマ”は、すばらしい画質を実現し、国内外に、世界の写真業界に、大きな反響を巻き起こす。カラーフィルム製造技術と高感度オートポジ写真乳剤、ダイレリーサー、TCLなど新しい技術の結合によって生まれた“フォトラマ”は、コンベンショナル写真に勝るとも劣らない鮮やかで豊かな色の世界をつくり出す。撮影後約60秒で見事なカラー写真ができあがるというすばらしい特長によって、写真の新しい楽しみ方・新しい活用法をつくり出し、写真の世界を広げていく。
“フォトラマ”の発表
フォトラマ発表を伝える新聞記事
日本経済新聞
1981年(昭和56年)10月
1981年(昭和56年)10月12日,それまで満を持していた当社は,新しい写真システム,フジインスタントフォトシステム“フォトラマ”を発表した。
「インスタントカラーカメラ-富士フイルム発売」(日本経済新聞)
「インスタントカメラに進出-富士写が正式発表」(日刊工業新聞)
「米2社の独占に挑戦」(朝日新聞)
当社の参入が早くから予想され,期待されていたことから,翌10月13日,各紙は,当社のインスタント写真システムヘの進出を大々的に報じた。
続いて,東京をはじめ全国10か所で,ディーラー向けの発表会を盛況に開催し,10月24日,全国一斉に発売した。
フジインスタントフォトシステム“フォトラマ”の発売に当たって,大西社長は「新しい写真需要の開拓により市場の拡大をめざす」と題して次のように語った。
「このたび,多年にわたり当社が研究開発を進めてきたフジインスタント写真システムを,“フォトラマ”の愛称で国内販売致します。
当社は,これまでも各種商品の研究開発・戦略的なマーケティングなど,あらゆる施策を講じて,シャッターチャンスの増大・写真領域の拡大に努力してきました。しかしながら,最近の国内写真市場は,カラー化率・カメラの普及率が各々85%を超え,成長のカーブが鈍化してきていることは事実であり,また,デモグラフィック・データ(人口統計学的データ)からも,これまでのような高い成長率は容易に期待し難くなってきています。
このような状況下にあって,最大の課題は,なんといっても写真市場の拡大・活性化であり,そのための具体的な施策を次々と打ち出していくことが,当社に与えられた責務であると考えております。(中略)
昨今,消費者の意識の変化は目まぐるしく,そのニーズも,より個性化・多様化の方向へと急速に変化しつつあります。このため,写真市場においても,この多様化するニーズに適合したいろいろの商品開発を進めねばなりません。
今回,その一つとして,写真に関して従来と異なったエンジョイの仕方,すなわち,家庭での日常行事やパーティーなどの社交行事の場で“写真を撮った時にその場ですぐ見ながらみんなで楽しむ”という消費者ニーズを満足させるべく,富士フイルムの技術の総力を結集して開発した,新しいインスタント写真システムを市場に導入することにしたのであります。
“フジインスタントフォトシステム”には,新たに開発した高感度オートポジ写真乳剤(普通の白黒写真と同じ現像方法で,光が当たったところが白く,当たらなかっところは黒く現像される写真乳剤),ダイレリーサー(現像によって色素を放出して画像を形成する色材)など,数々の新技術を駆使することにより,日本人の感覚・感性に十分フィットする高品質な画像を実現するとともに,フジカラーラボ網で,良質の焼増し・引伸しプリントすることもできるフォトラマプリントシステムも確立しております。
我が国のインスタント写真市場は,欧米市場のそれと比較してみますと,現在まだ極めて小さいものです。しかし,わが国の消費者にインスタント写真のもつ機能や応用の方法,利用の仕方を十分に知ってもらうことにより,そしてまた,上述のように日本人の感覚・感性に合った商品を開発することにより,インスタント写真の持つコンベンショナル写真とは異なった価値が認められ,その市場が大きく伸びることが期待されます。インスタント写真はコンベンショナル写真とは競合するものでなく,互いに補完し合い,新しい写真需要を開拓し,写真市場の拡大に寄与するものであります。また,数々の業務用途へのアプリケーションの可能性をもっているのであります。(中略)
富士フイルムが長年にわたり構築してきた販売網・サービス網をフル活用し,“フォトラマ”の強力なマーケティングを展開することにより,わが国のインスタント写真市場を大きく育てあげていきたいと考えます。(後略)」
長年にわたる苦闘-“フォトラマ”の開発
フジインスタントカメラF-50S(左),F-10(右)と
フジインスタントカラーフィルムFI-10
インスタント写真システムが登場したのは,第2次世界大戦が終わって間もない1947年(昭和22年)のことであった。この年,米国のポラロイド社は,“ポラロイドカメラ”を発表し,翌1948年(昭和23年)に発売した。その後,1963年(昭和38年)には,インスタントカラー写真システム“ポラカラー”を発売し,インスタント写真市場を独占。インスタント写真は“ポラロイド”の名で知られてきた。
しかし,1976年(昭和51年)になって,コダック社が“インスタントフォトシステム”を発売してインスタント写真市場に参入し,ポラロイド方式とコダック方式の間で激しい競争が繰り広げられた。それに伴って,欧米ではインスタント写真が急速に普及し,1980年(昭和55年)には,その市場規模は,米国ではスチル写真の35%,ヨーロッパでも25%を占めるまでになった。
日本市場にも,ポラロイドとコダック両社のインスタントカメラが導入されて販売されたが,日本での普及率は5%台にとどまっていた。その大きな理由としては,(1)色に対する不満(2)焼増しができない(3)画質の割にフィルム価格が高い,などで,ユーザーがインスタント写真に必ずしも満足しなかったことがあげられる。
しかし,インスタントカメラとフィルムの性能が向上するとともに,その特性を生かしてさまざまな用途が開発され,日本でのインスタント写真市場も急速に拡大する傾向を示していた。
当社は,このようなインスタント写真の将来性について早くから予見し,基礎的な調査研究を進めてきた。そして,1973年(昭和48年)2月,NS事業部を発足させ,本格的な開発に取り組むこととし,インスタント写真のための写真乳剤・発色剤・現像処理プロセスの研究など,一つ一つの要素技術の研究を社外はもちろん,社内にも極秘りに進めていった。そして,研究の進展に伴って,1975年(昭和50年)8月には,NS事業部をNS研究所と改め,陣容を強化して研究の完成を急いだ。
「富士フイルムが出す以上,他社と同水準のものでは意味が無い。後から出すのだから,是非ともそれ以上で,ユーザーニーズに合ったものをつくる」―これが研究陣にとっての目標である。
インスタント写真は,いわば,フィルムの現像機がカメラ内の一対のローラーという極端に簡略化されたものであるだけに,フィルムの構成は複雑をきわめ,まさにケミストリーの巨大システムともいえるものである。これを開発するための研究開発の規模もまた巨大で,要素技術やその要素を生かすための利用技術,安定生産を実現するための生産技術や評価・検査の技術,また,それらを支援する設備技術,さらに,カメラ関係の技術……,これらの技術開発に大勢の人びとの努力が注ぎこまれた。
写真の領域を飛躍的に増大させ,ユーザーに新しい大きな満足をもたらしたシステム“フォトラマ”の華々しいデビューの陰には,研究や生産に携わる人達の長年の苦闘の日々があったのである。
“フォトラマ”フィルムの三つの秘密
写真を意味する“フォト”と,“パノラマ”の“ラマ”を結びつけて“フォトラマ”と名づけられた当社のインスタント写真システムは,次のようなシステム構成と特長を備えていた。
〔システム構成〕
- フジインスタントカラーフィルム(1パック10枚入り)
- フジインスタントカメラ2機種(F-50S,F-10)
- 専用ストロボ(F-10との組み合わせで使用)
- フォトラマプリント(インスタント写真からの焼増し,引伸し)
〔主な特長〕
- 色が鮮明で,かつ,自然に再現される
- 階調が豊富で肌色の微妙な調子も良く表現できる
- 画像がシャープ
- 撮影後約15秒で画像が現われはじめ,約60秒でまとまる
- 初めから自然の色彩の絵で現われてくる
- 画像の形成が最良の点で停止する
- 全国のフジカラーラボ網を通じて,焼増し・引伸しが手軽にできる
- フォトラマ写真の余白には,どんな筆記具でもメモが書け,また,空になったフィルムパックは,写真立てとして利用できる
色鮮やかで,階調が豊富,そして画像出現の速い“フォトラマ”―それは,画質に対する要求の厳しい日本人をも満足させる世界に誇る新しいインスタント写真システムであった。それは,当社が長年にわたって培ってきた高度な写真技術をベースに,“フォトラマ”用に新たに開発した次の三つの技術によって完成させたのである。
- 高感度オートポジ乳剤
当社は,すでに写真用オートポジ乳剤の工業化を実現していたが,既存技術では感度が低いので,高い撮影感度と高画質が得られるようなオートポジハロゲン化銀乳剤の研究を進め,特殊な素材と高度に制御された結晶製法技術の開発によって,“Hi-SN”(High ratio of Signal to Noise)型オートポジハロゲン化銀乳剤を完成した。この乳剤は,粒子内部に高度に制御された微細構造でできている感光核を持っており,結晶の形は正八面体をしている。 - ダイレリーサー
オートポジ乳剤の現像を介して,色素を放出して画像を形成する色材として“o-SR(o-Sulfonamid Resorcin)”型ダイレリーサーを開発。Hi-SN型オートポジ乳剤との組み合わせによって,迅速に,豊富な階調をもった美しいカラー画像を出現させる。 - TCL(現像プロセスをコントロールするポリマー)の開発
ハロゲン化銀の現像速度は温度によって変化するが,インスタントフィルムは,さまざまな温度下で撮影・現像されるので,撮影時の温度を察知して最適の時間で現像を打ち切り,現像液のアルカリを自動的に中和させることが必要になる。フォトラマフィルムでは,TCL(Temperature Compensating Layer)という特殊なポリマーを開発し,1,000分の1mmの中和タイミング層の中に入れ,このプロセスを制御している。フォトラマフィルムは,25℃の条件で約15秒で画像があらわれ,約1分で現像が終了するようにした。
フジインスタントカラーフィルムFI-10の層構成
“フォトラマ”用のフィルム“フジインスタントカラーフィルムFI-10”の層構成は,右図のとおりで,わずか0.3mmの厚さの中に20層を封じ込めた形となっている。これは,当社が超マイクロフィルムやカラーフィルムの開発で蓄積した薄層塗布・高速多層同時塗布などの技術を応用し,かつ,新しい生産技術を開発して実現したものである。20層の中にはそれぞれ異なる機能を有する100種類あまりの材料が組み込まれ,光と1種類の現像液を与えるだけで,これらの材料が相互に連携を保ちながら,次々と作用して美しいカラー画像をつくり出すようになっている。
一方,カメラ関係の技術開発もまた重要な課題であった。できるだけ小型軽量で,しかもユーザーにアピールする外観や機動性に加え,「インカメラプロセシング」(カメラ内で現像処理)という,通常のカメラにはないインスタントカメラとして最も重要な機能を高い信頼性をもって常に正確に作動させなければならない。発売当初“フジインスタントカメラF-10”(普及機)および“F-50S”(高級機)の2機種が準備されたが,ユーザーニーズにマッチした独自の設計に加えて,特にカメラの製造面では,徹底したQC活動によって,部品の調達や組立てラインの管理を図り,故障の皆無を期した。こうして,カメラもフィルムも,ともに品質面で高い評価を得たのであった。
“フォトラマ”は,当社の長年にわたる写真技術の蓄積とそのために特に開発した新技術の組み合わせによって初めて実現しえたのであった。まさに,“技術の富士フイルム”を象徴する商品の一つでもある。“フォトラマ”開発の過程で取得した特許は多くの数にのぼっており,それらの技術は,コンベンショナル写真の分野にも応用され,次代の新しい製品を生み出す一つの力となっている。
“フォトラマ”の活用
“フォトラマ”は,発売と同時に「インスタント写真を超えたインスタント写真」,従来のカラープリント写真と比べても見劣りのしないインスタント写真として,大きな反響を巻き起こし,また,強力なキャンペーンによって急速に市場に浸透していった。
これに加えて,当社は,フォトラマの新しい用途開発に取り組み,誕生日やパーティーなど,インスタント写真の従来からの活用法にプラスして,インスタント写真ならではの活用法を開発してその普及を目指した。たとえば,華道では作品の保存に,料理教室では作った料理をフォトラマで撮影して余白にその料理のコツなどをメモしてクッキングカードに,結婚式場では新郎新婦を撮ったフォトラマを色紙にはって寄せ書きを作成するとか,呉服店では試着した着物の柄選びに,ボウリング場やゴルフ場ではフォームの診断に,美容室ではヘアスタイルのフォトカルテに,産婦人科病院では新生児の写真を両親へのプレゼント用になど,多くの活用範囲が広がってきている。特に,土木工事・建築関係での進行状況の撮影とか,自動車事故の場合の破損状況の確認など,いわゆるビジネス・業務用ユースの普及も強力に進めている。
これら新しい用途開発と合わせて,当社は,新機構や新機能を付加したカメラを開発し,市場に投入していった。
フジインスタントカメラF-60AF,F-51S,F-55V
1982年(昭和57年)6月には,自動焦点機構を内蔵した“フジインスタントカメラF-60AF”と,大型ストロボを接続できるX接点ターミナルを装備した“フジインスタントカメラF-51S”を発売した。また,同年12月には,音声で撮影手順を指示する“フジインスタントカメラF-55V”と,オートストロボを内蔵した“F-20S”を発売した。特に,“F-55V”は,音声合成LSIを組み込み,「フィルムカバーヲダシテクダサイ」「ピントヲアワセマショウ」「ストロボヲシヨウシテクダサイ」「フィルムガオワリマシタ」と,撮影の手順およびフィルムが終わったことを音声で指示するもので,ユニークなカメラとして評判になった。
“フォトラマ”の輸出
1981年(昭和56年)10月発売当初,“フォトラマ”のわが国での販売は,予想をはるかに上回る好調さでスタートした。このため,生産が間に合わず,やむなく輸出の開始を一時見合わせざるを得なかった。翌1982年(昭和57年)2月になって,まず,東南アジア市場のうち,インドネシア・香港・台湾向けに輸出を開始した。市場での導入状況は良好で,ユーザーにも好評をもって迎えられた。翌1983年(昭和58年)1月からは,さらに,韓国・シンガポール・マレーシア・タイ・フィリピンの5か国を加えて輸出先を拡大し,東南アジア市場で確固たるシェアの獲得を目指すとともに,同年7月にはアフリカおよび中南米諸国にも輸出先を広げた。
業務用インスタントフォトシステムの開発
顕微鏡写真に活用されるフォトラマ
当社は,“フォトラマ”の特性を生かして業務用分野での利用拡大を図るため,営業写真分野・顕微鏡写真分野・コンピューターグラフィックスおよび眼底カメラその他医療用の分野などでフォトラマフィルムが利用できるように,業務用機器メーカーを対象とした「フジインスタントパックMS-1(OEM用)」の開発を行ない,1982年(昭和57年)7月から発売した。
この“MS-1”は,フォトラマフィルムの送り出し機構であるが,応用範囲が広げられるよう単三乾電池またはAC電源も使用でき,リモートコントロールも可能で,耐久性も大幅に向上させたものである。
“MS-1”自体は,業務用分野の機器メーカー対象にのみ販売しているが,順次,この“MS-1”を装着した“フォトラマ”関連業務用製品が誕生しつつあり,フォトラマフィルムを利用したフォトシステムが,科学・産業・医療分野などに大きく広がりはじめている。営業写真分野では,4×5判カメラ用“フォトラマ”アダプターが数社から発売されて,フォトラマフィルムが利用されており,また,顕微鏡分野では日本光学工業ならびにオリンパス光学の顕微鏡用“フォトラマ”アダプターがそれぞれ発売され,同じくフォトラマフィルムが利用されている。
一方,コンピューターグラフィックス分野では,カラーイメージレコーダーへの“フォトラマ”アダプターの装着,また,CRT画像の直接撮影用カメラにも“MS-1”が装着され,コンピューターなどのCRT画像からフォトラマによる美しいカラーハードコピーの作成が可能となっている。また,ユニークな応用製品としては,印刷物の写真などの平面的なものから,工業製品やアクセサリーなど立体物まで幅広くコピー可能な小型軽量卓上型カラー複写機が市場で開発された。今後,さらに,“フォトラマ”のもっている優れた特長を生かした応用・利用分野の開発が期待されている。
当社が長年の歳月をかけて開発したインスタント写真システム“フォトラマ”は,こうして,インスタント写真の限界を超えた新しい写真システムとして,アマチュア写真をはじめ業務用分野にその応用が図られており,写真の世界をさらに広げつつある。
“フォトラマ”の生産
フォトラマの宣伝ポスター
“フォトラマ”用フィルムの生産は,足柄工場で,写真乳剤薄層塗布技術・多層同時塗布技術・精密位相制御技術など,当社の最新鋭のシステム生産技術を駆使して行なわれている。
その生産工程は,溶剤系塗布・乳剤系塗布,乳化・分散・精製,処理液調整の各工程と裁断・ポット充てん・コレーター(多種部材を組み立ててユニットを完成する)・パック詰め・内外装の加工工程と,数多くの複雑な工程から成っており,徹底した自工程品質保証の考え方に立った一貫生産システムをとっている。
1982年(昭和57年)5月に,より一層スピードアップした高速コレーターの稼動,ポッド充てん機の増設のほか,塗布機・加工機のスピードアップを実施した。1983年(昭和58年)3月には,写真感光材料製造機用として,初の高能力溶剤系塗布機が完成し,本稼動に入り,乳剤系塗布機の広幅化も同時に実施した。また,設備の高稼動およびコストダウンを図るため,製造工程での交互稼動による徹底したジョブローテーションや加工工程での休憩時の無人運転の実施など,生産性向上施策も当初から積極的に取り入れ実施している。
“フォトラマ”発売後1年を経て,フォトラマ事業も軌道に乗ってきたので,1982年(昭和57年)11月には,NS研究所を発展的に解消,その研究機能は足柄研究所に編入して新たな飛躍を図り,引き続き,事業拡大のための諸計画を推進している。