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X-レイフィルム新鋭工場の建設とX-レイシステム商品の開発

 

X-レイフィルムは、その性能向上とX線診断法の進歩に伴って、需要量は増大の一途をたどる。当社は、1972年(昭和47年)、富士宮工場内に最新技術によるフィルムベースからの一貫生産工場を建設し、増産体制を整え、国際競争力のある品質とコストの実現を目指す。X-レイフィルムの90秒処理システムの品種を整備し、高感度化のための“富士GRENEXシステム”を、明室処理化の要請に応えて“富士ECシリーズ”をそれぞれ開発する。さらに、核医学、X線CT、超音波などの新しい診断法の登場に伴い、CRT画像を記録する“富士メディカルイメージングシステム”の開発を進めていく。

富士宮工場内にX-レイフィルム新鋭工場の建設

1970年代に入って,X-レイ診断法や造影撮影法の進歩に伴って,医療用X-レイフィルムは,しゅよう・がんなどの内臓疾患や循環器系の疾病の予防・診断の用途が増大した。また,医療保険制度の充実と国民の健康についての関心の高まりも,X-レイフィルムの需要の伸びに拍車をかけていった。

X-レイフィルムは,すでに1961年(昭和36年)12月以来輸入が自由化されていたが,輸入関税も1972年(昭和47年)4月以降,数次にわたって税率が引き下げられた。それに伴って,海外の有力メーカーの対日進出が活発化し,市場競争は一段と厳しくなってきた。

他方,X-レイフィルムの現像処理に自動現像機が普及し,その処理時間も90秒という迅速処理の時代が始まった。当社も,1968年(昭和43年)1月“富士医療用X-レイフィルムRX”を発売し,90秒処理市場に進出した。

こうしたX-レイフィルムの需要増と90秒処理システムの進展の中で,当社が国内トップシェアを維持し,また,海外市場の開拓を進めていくためには,これまでの足柄工場の生産能力には限界があった。国際競争力のある製造コストを実現し,品質の向上を図るためにも,X-レイフィルムの生産に適した専用工場の建設が強く求められた。しかし,足柄工場には新工場を建設するだけのスペースはなかった。創業以来これまで,写真感光材料の生産は,フィルムベースから一貫して足柄工場に集中してきたが,ここに,将来の長期的展望に立って,足柄工場以外の地にも写真感光材料の生産設備を設けることとし,X-レイフィルム新工場を富士宮工場内に建設することに決定した。

新工場の建設に当たっては,PETべースの製膜から下塗りまでを行なうフィルムベース工場と写真乳剤製造や塗布乾燥から裁断・加工・包装までを行なうフィルム工場を建設し,フィルムベースからの一貫生産体制を確立することとした。

新工場の設備投資総額は100億円を超え,当時の資本金を上回る巨額な資金を投入する大規模な投資であった。新設備のうち,X-レイフィルム塗布乾燥設備に対しては,国産新技術振興の観点から日本開発銀行の融資が適用され,また,企業合理化促進法による特別償却対象設備に指定された。

新工場は,1970年(昭和45年)1月に着工,翌1971年(昭和46年)2月にしゅん工,同年7月に試運転を開始し,翌1972年(昭和47年)2月から本稼動に入った。

[写真]完成した新鋭PETベース工場とその製造工程 1971年(昭和46年)[写真]完成した新鋭PETベース工場とその製造工程 1971年(昭和46年)

完成した新鋭PETベース工場とその製造工程 1971年(昭和46年)

フィルムベース工場には,製膜プラントと下塗プラントをそれぞれ1基設置した。足柄工場の従来の設備に比べ,生産ラインのスピードを増大させるとともに,フィルムベースの幅も飛躍的に広げて,生産能力を大幅に増大した。また,べース厚味の計算制御,自動巻き取り・送り出し,連続調液,全自動貯蔵など最新の装置を採り入れ,省力化とコストダウンを図った。

[写真]新鋭X-レイフィルム工場

新鋭X-レイフィルム工場

[写真]X-レイフィルムの包装工程

X-レイフィルムの包装工程

フィルム工場も,最新の写真乳剤製造設備や塗布乾燥設備,裁断・加工・包装設備を導入し,写真乳剤の製造から塗布乾燥,出荷までの一貫生産体制を確立した。これら各設備には,フィルム倍幅塗布技術,つる巻型無接触乾燥方式をはじめ,数多くの新技術を採り入れた。また,各工程のコンピューターコントロールや,全自動貯蔵,全自動搬送方式の採用,さらに,各種自動化・機械化などの省力化を徹底的に進め,生産能力を飛躍的に高めるとともに大幅なコストダウンを実現した。

X-レイフィルム工場の完成によって,富士宮工場は従来からの黒白印画紙およびカラーぺーパー用の原紙と感圧紙の製造に当たる紙業部門に加えて,新たにX-レイフィルム部門が加わり,工場としての内容を充実させた。

新鋭製造機によって生産されるX-レイフィルムは,その性能の高いことと品質が安定していることで,国内で安定したシェアを占めるとともに,海外にも広く輸出し,その生産量は増大の一途をたどった。そこで,フィルム工場の生産能力を増強するとともに,1980年(昭和55年)には,新たにフィルムベース工場を増築し,ここに最新鋭の機械設備を据え付けた。この新工場では,省エネルギーの点でも画期的な技術革新を施し,また,新下塗技術を開発,実用化して,生産性を倍増させるとともに,従来の有機溶剤を用いる下塗方式を有機溶剤を全く使用しない水溶性の下塗方式に切り換えて,環境保全にも万全を期した。

90秒処理システムの整備

[写真]富士医療用X-レイフィルムRX,RX-L

富士医療用
X-レイフィルム RX,RX-L

富士宮工場でのX-レイフィルムの増産体制の確立と並行して,当社は,市場での海外有力メーカーとの品質競争に打ち勝つため,90秒処理システムを整備した。1968年(昭和43年)1月,90秒処理用“富士医療用X-レイフィルムRX”を発売したのに続いて,1970年(昭和45年)3月には軟調タイプでラチチュードが広く胃部撮影用にも適した“RX-L”を,また1972年(昭和47年)11月には“RX”に比べて感度が60%高の超高感度フィルムで血管造影(アンギョーグラフィー)などの連続撮影に適した“RX-S”を発売した。“RX-L”と“RX-S”は自動現像機でも手現像でも,いずれでも現像処理ができるユニバーサルタイプで,この“RX”,“RX-L”,“RX-S”の整備によって,撮影目的に応じて適切なX-レイフィルムを使い分けることができるようになった。

また,間接撮影用X-レイフィルムも,1972年(昭和47年)6月,90秒処理ができる“富士医療用X-レイフィルムFL-RX”を発売,1974年(昭和49年)2月には,同じくX線イメージ管の出力蛍光像を撮影する“RX-Fspot”などを発売して需要に応えた。

“富士GRENEXシステム”の開発

当社は,診断能力の向上と人体への被ばく線量軽減のために,X-レイフィルムの高感度化を進めてきたが,さらに一層の高感度化と診断画像の向上が求められた。このニーズに応え,被ばく線量を大幅に軽減するため,希土類蛍光増感紙とグリーン感色性のX-レイフィルムの開発に取り組み,1975年(昭和50年)10月,“富士GRENEXシステム”を完成した。これは“富士GRENEX G4”,同“G8”の増感紙と,それに適したオルソタイプの“富士医療用X-レイフィルムRXO”とからなる新しいX-レイ撮影システムであった。

[写真]富士医療用X-レイフィルム RXO-G

富士医療用
X-レイフィルム RXO-G

希土類蛍光増感紙は,従来のタングステン酸カルシウム系増感紙に比較してX線吸収率が非常によく,また,X線を蛍光に変える変換効率も高い。“G4”と“RXO”の組み合わせによるシステム感度は,現行標準感度の約5倍の威力を発揮し,消化器や頭部,血管造影など鮮鋭度を求められる部位の撮影に用いられた。また,“G8”と“RXO”の組み合わせによるシステム感度は,従来品の10倍の高感度で,妊産婦の撮影を必要とする場合などに用いられ,被ばく線量の軽減に大きく寄与した。

その後,1981年(昭和56年)5月には微粒子タイプの“富士医療用X-レイフィルムRXO-G”を,翌1982年(昭和57年)11月には軟調でラチチュードの広い同“RXO-L”を,それぞれ発売し,高感度で診断情報の豊かな画像描写性が要求される撮影に適したシステムとして適用範囲を広げた。

“富士ECシリーズ”の開発と自動現像機の整備

[写真]X-レイフィルム明室処理 富士ECシステム

X-レイフィルム明室処理
富士ECシステム

X-レイフィルムの現像処理は,自動現像機の普及によって,現像・定着・水洗工程の自動化が実現したが,フィルムの取り扱いは依然として暗室処理であり,作業環境の改善や作業効率の向上のために明室処理化を望む声が高まってきた。

当社は,こうした要望に応えて明室処理システムの開発に取り組み,これを“ECシリーズ”と名付け,1972年(昭和47年)から逐次商品化した。“ECシリーズ”は,能率がよく便利という意味のEfficient Convenienceの頭文字をとって命名したもので,明室タイプのX-レイフィルム自動現像機“富士X-レイプロセサーRK”と撮影済みX-レイフィルムの自動現像機への自動挿入装置,各種オートフィーダーを組み合わせたX-レイフィルムの処理システムで,X-レイフィルムの明室処理が可能になった。当社は,主として中小規模の病院・医院へこれらのシステムの積極的な販売を展開し,X-レイフィルムのシェアアップを図った。

そして,1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)にかけて,シリーズの基本となるワンタッチ・ロック機構つきの軽量カセッテ“ECカセッテN”,撮影済みフィルムをカセッテから自動的に自動現像機に送り込む“ECオープナー”,ECカセッテに未感光フィルムを自動的に装てんする装置“ECローダー”など一連の機器を開発して“ECシリーズ”を整備した。また,大病院向けの大量処理モデルと中小規模病院向けの少量処理モデルをシステムとして整備し,これによって,大病院から小規模な医院まで,いろいろな条件にも対応できるシステム製品を整備し,フィルム処理の明室化と能率向上を図った。

[写真]富士X-レイプロセサーRU

富士X-レイプロセサーRU

その間,1970年(昭和45年)から1981年(昭和56年)にかけて自動現像機の整備を行ない,大病院向けの“富士X-レイプロセサーRU”,中規模病院向けの同“RN”をはじめ,小規模病院や開業医院向けの同“RK”と“RG”および“RE”など,各使用先に応じた自動現像機を市場に送り,フィルム処理の迅速化に大きく貢献した。

また,1980年(昭和55年)9月には,ECシリーズを改良しながら,大病院の大量処理用として“富士ECフィルム搬送システム”を開発した。これは,複数の撮影装置と撮影室を接続して,自動現像機までフィルムを高速搬送し,また,自動的に交通整理してフィルム処理の優先順位を選別できるシステムで,これにより,フィルム搬送の効率化が図られるとともに“富士ECシリーズ”のラインアップが完成した。

一方,海外市場向けには,1972年(昭和47年)からヨーロッパや東南アジア向けに各種自動現像機の販売を開始し,その後引き続いて他の市場への導入拡大を図った。また,ECシリーズもヨーロッパを中心に海外市場での販売を開始した。

メディカルイメージングシステムの開発

[写真]富士メディカルイメージングカメラ FIM2025シリーズ

富士メディカルイメージングカメラ
FIM2025シリーズ

[写真]富士メディカルイメージングフィルム

富士メディカルイメージングフィルム

1960年代後半以降,核医学(RI)やX線CT(コンピュータートモグラフィー),超音波診断など,新しい診断方法が次々に登場し普及してきた。これらの新診断システムは診断情報をCRT画像としてテレビのブラウン管上に映し出すもので,この画像を観察し,診断するシステムである。

1970年代後半に入ると,これらCRT画像を記録するために,CRTと撮影用カメラとが一体となった記録方式としてメディカルイメージングシステムが普及しはじめた。当社は,いち早くその開発に着手し,1979年(昭和54年)12月,超音波診断画像を記録するカメラとフィルムを完成し“富士メディカルイメージングシステム”として発表した。そして,翌1980年(昭和55年)8月,超音波画像記録用として,1枚のフィルムに1画像を記録する“富士メディカルイメージングカメラシングルフォーマットタイプFSC1010”とフィルム“タイプUS”(10cm×10cm)を発売した。

次いで,1982年(昭和57年)7月には1枚のフィルム(六切サイズ)に分割撮影できるマルチフォーマッ卜カメラ“FIM2025”(カセットタイプ)や“FIM2025A”(何枚も連続撮影できる自動搬送装置付き)および“FIM2025AH”(高解像力モニターを内蔵した自動搬送装置付き)を発売,翌1983年(昭和58年)3月には廉価な“FIM2025U”を発売した。さらに,同年8月には,大四切サイズ用のカメラ“FIM3035AH”(高解像力モニターを内蔵した自動搬送装置付き)を発売し,超音波診断をはじめ,X線CT,核医学分野への富士イメージングシステムの拡大を図った。それと並行して,CRTイメージング用フィルムとして,それぞれの用途に“MI-US”(“タイプUS”の名称変更。超音波CRT画像記録用)と“MI-NC”(CTから核医学・超音波まで各種CRT画像記録用)を発売,また,1981年(昭和56年)10月,イメージングフィルム専用自動現像機“FPM900”も発売してシステムの充実を図った。

工業用X-レイフィルム迅速処理システムの開発

[写真]第20回日本医学会総会医学展の当社ブース(東京晴海)

第20回日本医学会総会
医学展の当社ブース(東京晴海)

当社は,1954年(昭和29年)から1958年(昭和33年)にかけて,使用目的に合わせた工業用X-レイフィルムの品種を整備し,鉄鋼や造船界などの需要に対応していった。

1960年代後半ごろからは迅速処理の要求が強まり,工業用X-レイフィルム分野にも自動現像機の導入が検討されはじめた。当社では,1969年(昭和44年)8月“パコロールスーパーIX-17”の輸入販売を開始するとともに,当社独自の自動現像機の開発を進め,1975年(昭和50年)9月,現像から乾燥工程まで5分処理可能の“富士スーパーIX-17”を発売した。

一方,この間,1971年(昭和46年)2月には超微粒子・高鮮鋭度タイプの“富士工業用X-レイフィルム タイプ50”と微粒子・高感度タイプの“タイプ150”を発売し,品種整備を図るとともに現像処理の迅速化の研究を進めた。そして,1977年(昭和52年)10月,“富士工業用X-レイフィルム タイプ50”をはじめ,“80”,“100”,“150”,“400”の各タイプの「5分処理システム」の商品化を実現した。この完成によって,検査工程の時間短縮に寄与することができた。

その後も,1980年(昭和55年)3月には,車載可能なコンパクト設計で,市場ニーズを先取りした小型自動現像機“富士スーパーIX-14”を,また,1981年(昭和56年)10月には5分処理・省エネルギータイプの大型自動現像機“富士工業用X-レイプロセサーFIP4000”を,それぞれ発売して,フィルムと自動現像機のシステム品質の向上を進め,現像処理の自動化の拡大を推進していった。

1978年(昭和53年)9月,埼玉県稲荷山古墳で発見された鉄剣に,金で象眼した銘文115文字が刻まれていることが判明,解読され,古代史学者や国語学者の間に大きな波紋を起こしたことが報道された。

これは,当社の工業用X-レイフィルム“タイプ100”を使用して撮影されたもので,工業用X-レイフィルムが学術研究の分野でも大きな注目を浴びた。

[写真]富士工業用X-レイフィルム群

富士工業用X-レイフィルム群

[写真]工業用X-レイフィルムによる非破壊検査

工業用X-レイフィルムによる非破壊検査

[写真]稲荷山古墳の出土品(鉄剣)を伝える新聞記事朝日新聞社 1978年(昭和53年)9月

稲荷山古墳の出土品(鉄剣)を伝える新聞記事
朝日新聞社 1978年(昭和53年)9月

 
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