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高感度フィルム“フジカラーF-II 400”の誕生

 

1976年(昭和51年)9月、当社は世界に先駆けて高感度(ASA400)のカラーネガフィルム“フジカラーF-II 400”を発表する。当社が開発した集中核型粒子(CLG)技術・画像制御層(ICL)技術と高度の製造技術によって誕生した“フジカラーF-II 400”は、カラーネガフィルムの感度を一挙に4倍に引き上げ、それまでストロボがなければ撮影ができなかったところでも、気軽に美しいカラー写真を写すことができるようにした画期的な新製品である。“F-II 400”は、世界中に大きな反響を巻き起こし、“FUJI FILM”の名を一躍国際ブランドに引き上げる。また、黒白フィルムでも,ASA400の高感度品を開発し、需要に応える。

“F-II400”華やかにデビュー

[写真]フジカラーF-II400の発表(第14回フォトキナ)1976年(昭和51年)9月

フジカラーF-II400の発表(第14回フォトキナ)
1976年(昭和51年)9月

2年に一度,西ドイツのケルン市で開かれるフォトキナは世界の写真業界最大のフェスティバルで,世界の写真感光材料メーカーやカメラメーカーの新製品発表の場となっている。1976年(昭和51年)9月に開かれた第14回フォトキナにおいて,当社は世界初の高感度一般用カラーネガフィルムASA400の“フジカラーF-II400”を発表した。1974年(昭和49年)6月に発売したASA400の高感度16mmテレビ用カラーリバーサルフィルムに次いで,今回の世界最初のASA400の高感度カラーネガフィルムの開発は,当社の写真工業技術の優秀性を全世界に強く印象づけた。

これまでは,どちらかといえば海外の先進メーカーが開発した製品の後追いを続けてきた当社にとって,海外の先進メーカーに先んじて,それを上回る製品をつくり出すことができたという意味で,この“フジカラーF-II400”は画期的な新製品であった。

この新製品の企画に当たっては,まず写真需要の拡大という見地に立って,その感度の目標をどこに置くかということから検討を始めた。

アマチュアの写真撮影では屋外撮影が圧倒的に多いが,室内撮影もアマチュアの全撮影ショット数の約4分の1を占めている。そして室内撮影の場合,手ぶれや露光不足が少なからず見受けられていた。数々の市場調査データを基にして検討した結果,当社は,写真需要拡大のためには,室内撮影をより容易にすることが最も必要であり,そのためには現在普及している大部分のカメラで,ストロボなどの補助光なしに室内で撮影することができる高感度のフィルムを開発する必要があると考えた。しかも屋外撮影に使用しても,夏の海辺でも冬のスキー場でも露光がオーバーにならず適正露光を得られなければならない。つまり,屋内・屋外を問わず使用できる感度が求められる。このような考え方に立って検討した結果,フィルムの感度目標をASA400に設定した。ストロボを使用しないで室内撮影が可能になると,当然ながら,蛍光灯やタングステン光などの光源で撮影される可能性が高くなるので,これらの光源に対する適性も要求された。

高感度の秘密

フィルムの感光性の基になっているのは無数のハロゲン化銀微結晶である。この結晶粒子を大きくするほど,わずかの光にも感じる,つまり感度が高くなるが,ある程度以上にこのサイズを大きくしても到達できる感度には限界があった。

これを解決するために,新たに二つの技術を開発した。その一つは集中核型粒子,すなわちCLG(Concentrated Latent-image Grain)技術で,特殊な粒子構造をもったハロゲン化銀粒子をつくり出すことによって高感度を実現することを可能にしたのである。

もう一つはICL(Image Controlling Layer)という画像制御層技術である。カラーネガフィルムは,赤・緑・青に感ずる三つの層からなるが,これらの各層は,それぞれ高感度層と低感度層の二つの層から成っている。ICL技術は,この高感度層と低感度層の間にICLという新しい乳剤層を加えることによって,高感度層の大きなハロゲン化銀粒子の色素像が低感度層ににじみを起こすのを防ぎ,粒状性を良化させるとともにシャープな画像を得られるようにする技術である。

このため,“F-II400”の写真乳剤層は,中間層や保護層などを加えると合計14層で形成されたが,当社が開発した塗布技術と足柄工場の新鋭カラー工場の設備によって,この多層塗布が可能となったのである。

CLG技術やICL技術と,高度の製造技術の組み合わせによって,微粒子でシャープな画像が得られる超高感度フィルム“フジカラーF-II400”が誕生したのである。

“F-II400”に結集された成果は,長年培われた当社の技術力の成果であるとともに,開発を担当した人びとのチームワークとそれを支えた全社をあげての協力体制の勝利であった。そして,この大きな課題にチャレンジして,それを見事に乗り越えたことは,当社の技術陣にとって大きな誇りになると同時に,大きな自信となったのである。

[写真]フジカラーF-II400の作品例[写真]フジカラーF-II400の作品例

フジカラーF-II400の作品例

“フジカラーF-II400”の発売

[写真]フジカラーF-II400(35mm判,ブローニー,ポケット)

フジカラーF-II400
(35mm判,ブローニー,ポケット)

当社が世界に先駆けて開発した高感度カラーネガフィルム“フジカラーF-II400”は,1976年(昭和51年)10月,全国一斉に発売した。そして,同年末からは海外市場へも輸出し,アメリカやヨーロッパ諸国をはじめ,世界各国で発売した。

発売当初は,すべて35mm判フィルムで,サイズは12枚撮のほかに,新たに24枚撮を加えた。また,この機会に,従来の“フジカラーF-II”についても24枚撮サイズを発売した。

“フジカラーF-II400”を使用することによって,たとえばストロボを使えない室内でのカラー撮影,ストロボの使いにくいステージ写真などでも,補助光なしにカラー撮影ができるようになった。明るい被写体でも,2絞り絞ることによって被写体の前後のピントの合う範囲が広くなったり,また,同じ絞りで従来の4倍速いシャッターが切れるので,スポーツなどの動きの速い被写体でもブレのない写真がとれるようになった。“フジカラーF-II400”の発売により,ユーザーは使用目的によって“F-II”と“F-II400”を使い分けることが可能となり,カラー写真の撮影の範囲は大幅に拡大されたのであった。

“フジカラー400”に名称変更

“フジカラーF-II400”は,発売以後,国内・国外の市場で好調な売れ行きを示した。そこで,1977年(昭和52年)2月には,従来の12枚撮と24枚撮に加えて,36枚撮とブローニーフィルム(6cm×6cmサイズで12枚撮)を追加発売し,需要に応えた。また同年3月には,ポケットカメラ用(110サイズ)フィルム“フジカラーF-II400ポケット”を市場に導入した。

その後,“フジカラーF-II400”専用の増感現像剤を開発し,1977年(昭和52年)11月からフジカラーラボは,“フジカラーF-II400”を2倍感度のASA800にして撮影しても現像処理によって適正な写真が得られる増感現像処理の受け付けを開始した。この増感現像処理の開発によって“フジカラーF-II400”の撮影範囲はさらに拡大された。

また,1980年(昭和55年)2月には,“フジカラーF-II400”の名称を“フジカラー400”と改め,新包装に切り換えた。これは“フジカラーF-II”とのイメージ分離を明確にするとともに,高感度カラーをより強く印象づけるためにとった措置であった。

“フジカラー400”の開発に対し,1977年(昭和52年)5月,科学技術庁長官から技術開発担当者に1977年度(昭和52年度)科学技術功労賞が授与された。

“ネオパン400”の発売

[写真]ネオパン400(35mm判)

ネオパン400
(35mm判)

“フジカラーF-II400”でカラーネガフィルムの高感度化を実現した当社は,黒白フィルムにおいても高感度微粒子フィルムの開発を進め,1978年(昭和53年)4月,“ネオパン400”を発売した。従来の黒白フィルムの最高感度は“ネオパンSSS”のASA200であったが,“ネオパン400”は,一般写真用の国産黒白フィルムとしては初めてのASA400の高感度フィルムであった。そのうえ,フィルムの粒状は微粒子で,当社独自の均一粒子技術としてUG(Uniform Grains)技術を開発して,美しくなめらかな粒状性をもったものとした。これはまた,シャープネスや階調などでも優れた特性を備えていた。また増感現像処理によって,最高ASA3200まで感度をあげることができた。

“ネオパン400”は,一般撮影にはもちろん,光量の少ない室内撮影や夜間のスナップ,スポーツ,ステージ撮影などに大きな威力を発揮した。

 
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