“フジカラーF-II”の誕生とカラーぺーパーのWP化
1971年(昭和46年)、一般用カラーフィルムの輸入自由化によって、市場での競争はますます激しくなる。当社は、新しい写真乳剤技術と高度な製造技術とによって、優れた微粒子カラーネガフィルムを開発し、1974年(昭和49年)11月、カラーネガフィルム“フジカラーF-II”を発売する。“F-II”は、当社が開発した新しい写真乳剤技術(IRG技術)と高度な製造技術によって、優れた特性と高度の安定性を有している。他方、カラーぺーパーは、現像処理の迅速化のため、1971年(昭和46年)から、原紙の表裏をポリエチレンでコートしたWP品に切り替える。その後、品質を改良し、“F-II”との組み合わせで、カラープリントの色再現性と保存性とを一段と改善する。
“フジカラーF-II”の誕生
1971年(昭和46年)1月,一般用カラーロールフィルムの輸入が自由化され,同年4月からは関税率も引き下げられ,これを機に輸入品の値下げが実施されて,日本国内の市場も海外市場と同様の国際競争時代に突入した。
翌1972年(昭和47年)3月,コダック社は110サイズポケットシステムを開発・発表した。このシステムは,フィルムの画面が35mm判サイズの4分の1という小さい面積で,この小さな面積からカラープリントに拡大しても耐えられるように,シャープネスおよび粒状性を改良した新しいカラーネガフィルム“コダカラーII”が開発された。
“コダカラーII”は現像処理でも高温迅速処理を可能にし,従来約1時間近くかかっていた現像処理時間は約半分に短縮され,これまでの処理方式は全く変わってしまった。このことは,1971年(昭和46年)4月に発売した“ニュータイプフジカラーN100”によって世界の市場に進出しはじめた当社にとっては,極めて重要な問題であった。
しかし,コダック社の製品の処理システムの世界市場における普及度から考えて,当社に選択の余地はなかった。当社がカラーフィルムメーカーとして生き残り,引き続き世界市場への供給を目指すためには,品質面で劣らないことはもちろん,コダック社の製品の現像処理システムに合致するフィルムを開発する以外に方法はなかった。
フジカラーF-IIの発表
(第13回フォトキナ)1974年(昭和49年)9月
フジカラーF-II(35mm判,ブローニー,ポケット)
フジカラーF-II発売時の大撮影会
“コダカラーII”と同様の高温迅速処理ができるようにするために,これまでにない強い膜質が求められ,また,微粒子で鮮やかに発色する写真乳剤を開発しなければならなかった。当社は,2年有余にわたって研究に取り組んだ結果,IRGという当社独自の技術を完成し,“フジカラーF-II”の誕生をみることになった。
IRG技術とは,Inhibitor-Releasing Grain(現像抑制物質放出型粒子)の頭文字をとって命名したもので,この技術は写真乳剤粒子に現像抑制剤をあらかじめ均一に吸着させておき,光の当たった粒子からは現像中抑制剤が放出され,それによって現像銀が粗大化するのを防ぐというもので,微粒子化のための優れた技術である。このIRG技術と改良カプラーの採用によって,これまでの製品以上にきめ細かく,鮮やかな発色画像が得られるようになった。
製造面では,フィルムの品質の安定性を高めるために,写真乳剤製造工程および塗布乾燥工程でコンピューターコントロールシステムを駆使し,工程の精密な制御を実現した。また,当社が誇る塗布技術によって,写真乳剤層の薄層化を実現し,より一層シャープな画像を得られるようにした。
このように,“フジカラーF-II”は長年にわたるカラーフィルム製造技術の基礎のうえに,新たに開発した新技術が加わって誕生をみたのである。
当社は,“フジカラーF-II”の開発を1974年(昭和49年)9月,西独ケルンで開かれた第13回フォトキナで世界に向けて発表した。
市場への出荷は,同年11月,35mm判フィルム(12枚撮,20枚撮,36枚撮)から開始した。翌年3月には,当社ポケットカメラの発売と同時に,ポケットカメラ用110サイズ“フジカラーF-IIポケットフィルム”(12枚撮,20枚撮)も発売した。
“フジカラーF-II”は,現像処理システムが,これまで市場に出荷していたカラーネガフィルムと全く異なるため,全国のカラーラボの処理体制を確立し,また,新たに発売する110サイズポケットフィルムの処理体制も十分に整えてから発売を開始したのである。
優れた微粒子でシャープな画像が得られる“フジカラーF-II”は,好評のうちに内外の市場に受け入れられた。
WPペーパーの商品化
カラーネガフィルムは,“フジカラーF-II”の発売で大きく品質を向上させたが,カラー写真のもう一つの素材であるカラーペーパーでも大きな革新があった。
1958年(昭和33年)初めてカラーペーパーを発売して以来,カラーペーパーは黒白印画紙と同じく,その支持体にはバライタ紙を使用していた。しかし,カラーペーパーの現像処理は最初の発色現像から乾燥工程まで数多くの工程を必要とし,処理時間も長く,その短縮が求められていた。
1968年(昭和43年),コダック社は原紙の表裏をプラスチックでコーティングしたRCぺーパーを発売した。RCぺーパーは紙の吸水性が著しく少なくなるので,水洗と乾燥の効率が高く,処理時間を大幅に短縮することができる。
フジカラーペーパー
WP(レーベル)
WP紙の層構成
黒白印画紙
利根WP(レーベル)
黒白印画紙
フジブロWP(レーベル)
当社は,この動きに対応して,いち早く同等品の開発に入った。国内のポリエチレンメーカーと協力して,カラーぺーパー用の特殊なポリエチレンの開発を進めるとともに,富士宮工場内に小幅の試作研究設備を設置して試作を重ねていった。
1970年(昭和45年)4月には大幅試作用の中間プラントを完成し,同年5月から本格的な試作研究に入り,年末には試作品が完成した。翌1971年(昭和46年)には中間プラントを全面的に改造し,同年10月から本格製造に入った。
このポリエチレンをコートした原紙を使用したカラーぺーパーは“水に耐える紙”,すなわちWater Proof Paperであるところから“WP紙”と名付けたが,この分野でも一貫生産体制を確立することができた。
当社は,このWP紙を使用したカラーぺーパーを,まず海外市場向けに出荷し,翌年8月からは国内市場にも導入し,カラーぺーパーをWP紙使用のものに切り換えた。導入当初,処理ステップは従来のカラーぺーパーと同様であったが,1973年(昭和48年)3月には迅速処理を可能としたカラーぺーパーを開発した。
翌1974年(昭和49年)には,発色効率のよい新しいカプラーを使用し,色再現・色保存性などの性能を改善したニュータイプのカラーぺーパーを発売した。
そして,ほぼ同時に発売した“フジカラーF-II”との組み合わせで,より一層鮮やかなカラープリントが作成できるようになった。
またこの時,ユーザーの多様な好みに応じられるように,従来の滑面に加え,絹目,微粒面などの面種も整備した。
1976年(昭和51年)には,コダック社が処理工程を短縮した二浴処理への切り換えを始めたのに伴い,当社も同年7月,二浴処理に切り換えた。
二浴処理は,これまでの三浴処理,すなわち発色現像・漂白定着・安定浴の三浴処理から,安定浴を省略したものであったが,安定浴を省略しても色素像の保存性が悪くならないように設計するとともに,性能の全面的な改良を図り,カラーラボの効率化に大きく寄与した。
なお,黒白印画紙についても,迅速処理のメリットからWP紙に切り換えていった。1977年(昭和52年)6月,引伸用一般紙“フジブロWP”を商品化したのをはじめとして,その後,密着用人像紙“銀嶺WP”,密着用一般紙“利根WP”と,逐次,商品化し,WP紙を整備していった。
印画紙用の原紙が,カラーペーパーも黒白印画紙もWP紙に切り換えられたことに伴い,富士宮工場では工場建設以来続けてきたバライタ紙の製造を1977年(昭和52年)8月をもって打ち切った。