足柄研究所の拡充と中央研究所の創設
1960年代に入って、当社の研究部門は、多くの研究課題に挑戦し、研究体制を整備する。特に、カラーフィルムの商品化研究に重点を置き、数々の新製品を開発し、当社の国内カラーフィルム市場における優位性を確立する原動力となる。また、黒白感光材料の研究にも重要な役割を果たすとともに、磁気記録材料、電子写真、感圧紙、PS版など新しい情報記録分野の研究に取り組んでいく。一方、新規分野についての研究開発を目的として、1965年(昭和40年)中央研究所を開設する。中央研究所では、エレクトロニックイメージングに関する研究にも着手し、当社のこの分野の研究の母体となる。また、特許・情報管理を重視し、特許情報検索システム(ITPAIS)に参画する。
写真感光材料研究体制の整備
戦後1950年代の間に,当社の技術陣は,戦時中に生じた海外の有力メーカーとの間の技術格差を埋めることに全力をあげた。そして,高感度の黒白感光材料の整備,内型カラー感光材料の商品化,フィルムベースの不燃化を実現した。写真乳剤基礎・感光理論・有機合成・画像解析・現像処理技術ならびに応用写真など,各分野での研究体制も整えていった。
しかし,1960年代を迎えて,研究部門は,多くの研究課題に挑戦しなければならなかった。来たるべき貿易自由化に備え,当社にとって,写真感光材料の新製品の開発と品質・コスト面での国際競争力を確立することが大きな課題であり,とりわけ,緊急かつ最も重要な課題は,カラー感光材料の新製品を一刻も早く商品化することであった。あわせて,印刷製版用などの産業材料分野の新規黒白感光材料の開発と銀塩感光材料以外の新規事業の開拓という大きな課題にも取り組まなければならなかった。
これらの強い要請に応えて,写真感光材料の研究に関しては,新しい研究開発体制を発足させた。これまで,当社の写真感光材料に関する研究は,主として原理に関する基礎的研究を研究所が担当し,新製品の商品化研究は足柄工場が担当していたが,この体制を改め,商品化研究の多くを研究所に移管することにした。基礎的研究部門と実際に商品として完成させる部門とを合体させ,総合力の発揮を期待したのである。これ以降,研究所には,これまでの“サイエンティフィック・マインド”に加えて,“マーケティング・マインド”が要求され,商品開発に向かって,次第に体質を変化させていった。
カラー感光材料発色剤の研究
合成した薬品の純度測定
最も緊急を要するカラー感光材料研究に関しては,外型8mmカラー反転フィルム,内型の一般用カラーネガフィルムおよびカラーぺーパー,内型カラー反転フィルム,映画用カラーネガフィルムとカラーポジフィルムなど,これらの改良・品種整備・新製品の開発といった多くのテーマが山積していた。これらのテーマを遂行するために,新しい研究開発体制の発足と同時に,写真乳剤の研究陣の多くを黒白感光材料の研究からカラー感光材料の研究にシフトし,その開発力の強化を図った。強化されたとはいっても,開発テーマが余りにも多く,当初は,1系列の製品の研究を若手研究者1人で担当するという状況であった。
当時の内型カプラーは水溶性のものであったが,当社は,独自に研究してこれを特長あるものに改良し,この水溶性カプラーを使用して,内型のカラーネガフィルム“N50”や,カラー反転フィルム“R100”などを商品化していった。そして,最も特筆すべきことは,1963年(昭和38年)のカラーネガフィルム“N64”の開発である。このフィルムにはカラードカプラー方式の自動マスク機構(発色色素の吸収の不完全性を自動的に補正する機構)を内蔵していて,“N64”からプリントすると,従来の製品よりも格段と色の鮮やかなプリントが得られるようになった。カラードカプラー自体はコダック社で開発された技術で,同社のオイルプロテクト型カプラーを使用したものは,すでに市販品に実用化されていた。当社は,基礎となる要素技術を数年間にわたって先行して開発した後,カラーネガフィルム“N64”の商品化に際して,水溶性カプラーを使用して自動マスク機構を実現したものである。カラーネガフィルム“N64”と,これに続く1965年(昭和40年),カラーネガフィルム“N100”の開発によって,一般用カラーネガフィルムの分野における当社の地位を不動のものとした。
写真感光材料新製品研究の進展
これまでは,カラー感光材料の開発に関して,日本国内において,先行する海外他社の特許制約を受ける程度は比較的少なかったが,このころになると,次第に,海外他社が日本への特許出願を重視してきた。このような状況に対応するためにも,また,積極的に海外に市場を求めるためにも,自らの発想による独自の技術の開発を迫られ,研究力を一段と拡充することが必要になった。
このため,当社は,研究人員を急速に増加し,一つの製品系列の研究を数人の写真乳剤研究者で構成するグループで担当するようにした。同時に,カプラーや感光色素など,カラー感光材料にとって重要な有機化合物群の開発の重要性も認識し,この分野の合成技術者も漸次増強した。
足柄研究所3号館
このような製品開発力の増強の一環として,1965年(昭和40年)7月,研究所3号館を建設した。この建物には,カラー感光材料の写真乳剤研究部門と現像処理研究部門を収容し,カラー感光材料開発用のパイロット塗布機を設置した。このパイロット塗布機は,小幅のフィルムを用いてはいたが,塗布と乾燥のプロセスは,製造用の塗布機をシミュレートできるものであって,この設置によって,少量スケールで製造機と同様の条件で十分に検討した処方を,数少ない現場テストで実際の製造に乗せることができるようになり,その後の写真感光材料の試作研究を著しく効率化させることができた。
カプラーの内型化は,既述のように,水溶性のものから実用化したが,1950年代後半からオイルプロテクト型のものの研究を進め,1960年代に入って,全製品をオイルプロテクト型に切り換える方針を決定した。これは,
- 当社品の輸出のためにはコダック社の現像処理方式に適合させる必要がある
- オイルプロテクト化によって画像の色が鮮やかになり,保存性が改良できるなどの性能向上が図れる
- 水溶性カプラーを含有する写真乳剤は高速塗布しにくい
などの理由による。
そして,1966年(昭和41年)にカラー反転フィルム“R100”を,1968年(昭和43年)に映画用カラーポジフィルムを,その翌年にカラーペーパーと映画用カラーネガフィルムを,それぞれ切り換え,1971年(昭和46年)には,アマチュア用35mm判カラーネガフィルム“N100”もオイルプロテクト型のものに切り換えた。水溶性カプラーを用いていた当時は,その現像処理処方も,当社固有の組成のものを開発していたが,オイルプロテクト化してからは,コダック社の現像処理条件に当社のカラー感光材料の処理条件が適合するようになり,これに伴って,現像処理処方の研究部門は次第に縮小していった。
また,この後間もなく,カラー反転フィルムは外型のものは当社のラインアップから姿を消し,内型のものに統一した。これは,限られた研究の力を広範な商品の開発に有効に利用するためにも必要な施策であった。
これらのカラー感光材料の新製品の開発研究は,研究所が中心となって,足柄工場の協力のもとにチームワークの成果として実を結んだものであった。
一方,黒白感光材料に目を転じると,この時期は,工業用・業務用の用途のものの拡大が中心であった。特に,国内市場の発展と輸出の増大に応えるための各種の印刷製版用フィルムの開発・改良,マイクロ写真フィルムの改良,医療用X-レイフィルムの数次にわたる改良,事務用迅速複写方式“クイックシステム”の開発などが特筆される。これら黒白感光材料の開発も,研究所と足柄工場との間にそれぞれ役割を分担し,両者のチームワークのもとに実現したものであった。
当社は,写真感光材料の研究と並行して,銀塩写真以外の新規分野への関心を高め,すでに1950年代後半から新規分野の調査研究を進めていた。将来の会社の経営を銀塩感光材料のみに頼る危険性を考え,事業の幅を広げることが必要であると痛感し,1960年代前半には,新規事業の具体化を全社的方針として掲げ,強力に推進した。磁気記録材料,電子写真,感圧紙,PS版のように,その後,当社を支える事業に大きく育った材料の開発は,1950年代末から1960年代前半に,研究所で探索されたものであった。
足柄研究所4号館
これらの開発は,研究が進展し,実用化の段階に進むにつれて比較的初期の段階で,それぞれのテーマごとに担当部門を独立して小田原工場に移管し,短期間で工業化された。
その後,後述するように,中央研究所の設立に伴い,これら新規分野の探索研究は,中央研究所に移管した。また,この機会に,従来の研究所は,1965年(昭和40年)6月,足柄研究所と名称を変更した。
数多くの写真感光材料の商品化を達成しつつ技術の構築を図ってきた当社技術陣は,先行していた海外他社の商品との品質レベルの格差が縮まるにつれて,また,新しい商品化のタイミングを他社と競うようになるにつれて,次第に独自の観点に基づく実際的でかつ創造的な要素技術を開発する必要を感じるようになった。足柄研究所は,商品開発を進めつつ,そこで遭遇する特異な現象を解析して技術開発に反映する努力を続けてきたが,さらに,写真感光材料の基幹技術の開発機能の強化を図るために,1970年(昭和45年)2月,研究所4号館を建設した。この建設によって,技術情報調査活動の拡充も可能となり,次の時代の発展のための基礎を築いていった。
中央研究所の設立とその活動
技術革新のテンポが速まる中で,当社の事業の幅を拡大するために長期的な観点に立って,これまで経験したことのない新しい分野への探索的な研究を進めることが必要となってきた。
このような要請から,既存の製品分野での商品化研究とは区分して,新たに,新規分野の探索研究を担当する研究所の設立を計画し,創立30周年記念事業の一環として実現することになった。当初は,足柄工場周辺に用地を求めたが,なかなか適地がみつからず,広く東京郊外一円にその範囲を広げた。その結果,埼玉県北足立郡朝霞町溝沼(現朝霞市)に約3万3,000m2(約1万坪)の用地を取得し,そこに新研究所を建設することに決定した。
設立当初の中央研究所
朝霞町は,埼玉県の最南部,東京都と接するところに位置し,池袋駅から東武東上線で30分たらず,豊かな自然に恵まれた閑静な地区で,研究所を建設するには格好の土地であった。
新研究所の建設は,1964年(昭和39年)6月から開始し,翌1965年(昭和40年)6月に完成した。中央研究所の組織は,2か月前の同年4月から発足した。
中央研究所では,設立当初から設計工作室を設け,研究者と設計技術者・工作者が一体となって研究するシステムを採用した。試作機も中央研究所内部で製作した。これによって,研究者と設計技術者が一体となって機器を製作するという気風が生まれ,お互いの意見の交流が活発となり,電気技術者・機械設計技術者・工作者・画像処理研究者が一体化して,各種の新しい機器を生み出した。当社における機器の複合化時代の先駆的役割を果たしたといえよう。
中央研究所発足後の具体的な研究活動は,化学的研究活動の分野では,銀塩感光材料の基本的特性を利用する研究とともに,当社独自の非銀塩写真の研究を行なった。また,光学的物理的研究活動の分野では,各種のイメージングシステム,特に,エレクトロニックイメージングに関する研究にも着手した。
それまでの当社は,いわば写真感光材料という“材料”を生産・販売することが中心であった。しかし,新しい市場を開発し,商品の付加価値を拡大するためには,材料に機器を組み合わせ,その材料の性能を最高に発揮できるシステムを開発することが必要である。こうした考え方に立って,銀塩写真の分野で,システムとして組み上げるべきテーマの一つとして,高密度記録乾板(超高解像力乾板)を利用した自動検索システム“スマーク”(SMARC)の開発に取り組んだ。
このシステム的な研究開発の方式をはじめとして,中央研究所の幾多の研究の成果は,事業場間の技術交流によって,社内の他の研究部門や技術部門にも生かされていった。また,中央研究所の研究活動の中で多くの研究者が育成された。この中央研究所で研究を重ね,巣立ち,当社の各部門に展開し,活躍していった応用物理やエレクトロニクス関係の技術者も多かった。
特許情報管理の重視 - ITPAISに参加
研究開発活動と関連して,当社は,特許情報検索システムの整備を進めていった。
写真感光材料は高度な精密化学の所産であり,世界のメーカーが日々新しい技術の開発にしのぎをけずっている。当社でも,創立以来,新しい素材や新しい技術の開発に注力し,数多くの特許を取得してきた。
しかし,国際化時代を迎えて,単に国内特許だけではなく,海外の特許にも配慮しなければならなくなってきた。また,新規事業分野への進出に当たっては,それらの分野における特許にも十分配慮しなければならないなど,特許管理の重要性が高まってきた。
このような情勢に対応するため,当社は,1964年(昭和39年)7月,本社に特許部を新設するとともに,1966年(昭和41年)6月には足柄研究所に調査部を設け,特許管理体制の整備・充実を図った。
これによって,会社の研究開発成果を迅速・的確に特許の出願に結び付け,工業所有権に関する諸手続を適切に処理するとともに,当社関連分野の特許情報の調査業務を充実した。
ITPAIS 三社合同会議
1979年(昭和54年)5月
当社は,すでに1950年代後半には,当社業務の関連分野の科学技術情報を整理してカード化し,必要に応じていつでも取り出せるように,TI(Technical Information)カードシステムを発足させていた。その後,特許も重要な技術情報であるとの認識が高まって,全世界の主要国の特許を網羅的に収集し,その内容を抄録の形でカード化し,インデックスを付して整理し,必要な情報を必要に応じて取り出せるようにし,TIカードシステムを大幅に充実させた。この特許情報検索システムは,映像情報の分野では,世界に類をみないシステムであった。
その後,コダック社から,世界の主要国の写真化学工業技術に関する特許情報検索システムの構築に協力するように要請を受け,1973年(昭和48年),これに参加した。このシステムは,ITPAIS(Image Technology Patent Information System)と呼称し,コダック社,アグファ・ゲバルト社および当社の3社が参加した。世界的に競合する有力3社が協力して作り上げた特許情報検索システムとして,画期的なものといえよう。