品質管理の推進と維持管理の近代化
当社は、戦後いち早く、生産工程の改善・効率化を進め、品質管理の徹底と、事務改革や経営管理の合理化を積極的に推進していく。まず、生産面では、生産効率向上のため、能率調査や職務分析を実施し、標準化を推進し、品質管理の導入を図る。品質管理の徹底を図るために全社的な運動を展開し、1956年(昭和31年)には、その成果を認められ、デミング賞実施賞を受賞する。また、1960年(昭和35年)には、足柄工場は、工業標準化実施優良工場として、通商産業大臣賞を受賞する。他方、事務改革を推進、PCS(パンチカードシステム)を導入し、事務作業の機械化を行なうとともに、原価計算制度を整備するなど、内部管理の合理化を図り、近代的な経営管理体制の確立を目指す。
品質管理の導入
当社は、戦後いち早く生産を再開し、生産設備を整備するとともに、作業の効率化を図ってきた。
足柄工場では、1948年(昭和23年)3月、日本能率協会の指導を受けて、数次にわたって各工程の分析や作業分析を行なった。そして、工場内にも専門家を養成して、生産工程の改善と生産効率の向上を図った。
この能率調査、工程改善の動きと並行し、品質管理についても積極的に導入を図った。
映画用フィルムをはじめ写真感光材料は、顧客が撮影を行ない、現像処理をしてはじめて、映画あるいは写真としてその良し悪しがわかるもので、使用前に手にとって調べることは不可能である。したがって、いつでも安心して使うことができるというメーカーの信用が最大のポイントである。当社は、創業以来、品質がすべてを決定するという一貫した考え方に立ってきたが、そのためにも、品質管理の考え方とその手法を導入することが重要な問題であった。
1948年(昭和23年)から、その手法としての統計的方法について研究を始め、次いで、工場内でその統計的方法の具体的適用を図った。さらには、作業標準などの標準化・製造現場での管理図の導入を進めていった。
デミング賞実施賞を受賞
(デミング賞実施賞審査資料より)
足柄工場における標準類の制定状況
デミング賞審査会で説明を行なう春木社長
デミング賞実施賞 賞状
デミング賞実施賞を受ける春木社長
足柄工場における品質管理の進展に伴い、1953年(昭和28年)、当社はデミング賞実施賞に立候補した。デミング賞実施賞は、日本における品質管理の祖ともいうべきW.E.デミング博士(Dr.W.E.Deming)の名を冠して、品質管理の優秀な企業に対して与えられる賞である。しかし、このときの審査では、当社の品質管理が統計的手法に重点が置かれていて、管理図の採用・標準化の徹底など製造現場への浸透がまだ十分でないこと、また、足柄工場が中心で、本社や他の工場での取り組みが不十分であることなどの理由で受賞するには至らなかった。
このことを反省して、当社は、全社的に品質管理の考え方の普及・徹底を図るとともに、より一層標準化を推進し、製造現場への適用を進めていった。
1955年(昭和30年)10月には、品質管理委員会を設置し、「品質管理3か年計画」を策定した。1956年(昭和31年)6月には、本社に新設した管理部に全社的な品質管理の推進センターを設け、また、各事業場にも品質管理委員会を設けて、全社的な品質管理の展開を図った。
各工場では、得率(歩留り)の上昇・設備稼働率の上昇・生産効率の向上など、具体的な成果を着実に積み重ねていった。
かくして、1956年(昭和31年)、デミング賞実施賞に再度挑戦し、今度は、みごと受賞の栄に浴することができた。
当社の受賞について、デミング賞委員会は次のように述べている。
「富士写真フイルム株式会社の品質管理の導入は比較的早期でありましたが、局部的に止っており、十分の効果をあげるに至りませんでしたところ、社長以下幹部が、率先して品質管理3か年計画によって、全社的に品質管理思想の普及と統計的手法の導入を積極的に推進することに努められました。
このように上下一致して熱心に努力を続けられた結果、多大の効果を収められ、ここにめでたく実施賞を受ける栄誉を担われることになりました。」
デミング賞実施賞受賞後も、引き続き標準化の推進と品質管理教育を中心として、品質管理の徹底のために地道な努力を積み重ねていった。デミング賞実施賞受賞当時は、一部でややもすると形式を整えることに走りすぎた面もあったが、その後の地道な活動の積み重ねによって、品質管理は着実に根をおろしていった。
他方、1958年(昭和33年)10月に、黒白ロールフィルム・黒白35mm判フィルム・黒白カットフィルムなどに日本工業規格(JIS)が制定されたが、翌1959年(昭和34年)8月、足柄工場はJISマーク表示許可工場として認可され、該当商品にJISマークを付けることが許可された。
さらに、1960年(昭和35年)9月には、足柄工場は、工業標準化実施優良工場として通商産業大臣賞を受賞した。
デミング賞実施賞 メダル
足柄工場工業標準化
実施優良工場の通知書
JISマーク表示許可
事務改革と経営管理の合理化
品質管理の徹底を図る一方で、当社は、事務改革と経営管理の合理化を推進していった。
戦後の業容の拡大に伴って、社内各部門の事務処理や会計事務の量も膨大化し、内部管理の合理化が強く求められた。そこで、1952年(昭和27年)に、経理規程を制定し、会計処理手続きを整備・明確化するとともに、予算管理の考え方を導入した。また、各工場の原価計算制度も逐次整備し、1955年(昭和30年)には、標準原価計算制度を採用した。
この間、1952年(昭和27年)1月には、公認会計士太田哲三氏(後に、監査法人太田哲三事務所)と監査契約を締結し、証券取引法に基づく監査を受けることになった。
PCSシステムの作業(東京・計算機室)
また、事務の効率化についても意を用い、1953年(昭和28年)5月には、全社の事務を見直し、その統一化・簡素化を図るために、事務改革委員会を発足させた。そして、同委員会での検討の結論に基づき、経営管理資料の迅速な作成と事務における作業的要素の機械化を期して、翌1954年(昭和29年)5月、IBM社のPCS(パンチカードシステム)1セットを足柄工場に導入した。さらに、1957年(昭和32年)6月には、東京本社にもPCSを設置した。これによって、販売集計業務を機械化したのを手はじめに、原材料計算・賃金計算・物品税計算などの事務の機械化を実施した。
また、この間、1956年(昭和31年)6月には、組織改正を実施して、常務会制度を採り入れ、トップマネジメントの強化を図るとともに、本社に管理部を設け、長期計画の立案などの企画業務を強化した。同時に、従来の事務分掌規程を廃して、新たに職務規程を制定し、職務の責任権限の明確化を図った。職務規程の制定に伴い、それに沿って各種の業務手続も明確化し、1957年(昭和32年)には、りん議制度も改善し、近代的な経営管理体制の確立を目指した。