創立50周年を迎える - 新たな半世紀への旅立ち
1980年代に入り、当社は、活発な設備投資を実施し、他方、増資や転換社債の発行で資金調達も推進する。この間、新製品の導入などにより、売上高は急増、1983年度(昭和58年度)には5,450億円を記録、自己資本比率も54.6%と改善される。連結売上高も6,336億円を達成、“世界の富士フイルム”に向かって大きく成長する。そして、1984年(昭和59年)1月20目、当社は、創立50周年記念日を迎え、新たな半世紀への旅立ちの決意を新たにする。そして、“フジカラーHR1600”・“フォトラマ800システム”・“フジビデオカセットスーパーXG”など、数々の新製品を発売し、また、映画用高感度カラーネガティブフィルム(露光指数500)や“フジックス-8ビデオシステム”を発表し、新たな出発への第一歩を踏み出す。
資本金,184億円に
1980年代に入って,当社は,磁気記録材料の需要拡大に備えた生産設備の増強ならびに研究開発設備の充実を図るため,1981年(昭和56年)12月14日払い込みで2,000万株の一般公募の増資(発行価格1,085円)を行ない,新資本金を167億9,256万円とするとともに,217億円の資金を調達した。
この結果,財務体質の改善も図られ,1982年度(昭和57年度)期末の自己資本比率は52.9%(前期末は47.1%)となった。
その後,1982年(昭和57年)11月,1株につき0.1株の割合で無償増資を行ない,新資本金を184億7,181万6,400円とした。
しかし,公募増資後も,当社は,引き続いて生産設備の増強,フォトレジスト事業への進出のための新工場建設,研究開発体制の充実,あるいはオランダ現地生産工場の建設など積極的な企業活動を展開。所要資金も急増したので,その一部に充当するため,1983年(昭和58年)7月,国内で第1回無担保転換社債300億円を発行すると同時に,オランダでダッチギルダー建転換社債1億ギルダー(邦貨換算額83億円)を発行した。なお,オランダにおけるわが国企業の転換社債の発行は,当社が初めてであった。
1983年(昭和58年)6月14日から17日までの4日間,当社は,ロンドン・チューリッヒ・フランクフルト・アムステルダムの各会場に,多くの金融関係者や記者などを招いて説明会を開催した。席上,大西社長(現会長)は,“技術の富士フイルム”“世界の富士フイルム”を目指した当社の基本方針とこれに向けて今後とも引き続き積極的な経営を展開していく旨強調し,当社に対して一層深い理解と高い評価を得た。
また,国内で発行した第1回無担保転換社債は,同年6月,日本公社債研究所にてAAA(9ランク中第1位,元利支払いの安全性が最高)と格付けされた。
第1回無担保転換社債券面見本
ダッチギルダー建転換社債券面見本
ダッチギルダー建転換社債の発行説明会
第1回無担保転換社債(国内)
<募集内容>
- 発行総額
300億円 - 発行価額
額面100円につき 100円 - 利率
年 4.3% - 償還期限
1989年(昭和64年)7月7日 - 申込期日
1983年(昭和58年)7月6日 - 払込期日
1983年(昭和58年)7月9日 - 利払日
毎年4月20日および10月20日 - 転換の条件
転換価額 2,440円
転換請求期間 1983年(昭和58年)9月1日から1989年(昭和64年)7月6日まで - 募集方法
一般募集
ダッチギルダー建転換社債(オランダ国)
<募集内容>
- 発行総額
1億ダッチギルダー - 発行価額
額面金額の100% - 利率
年4.75% - 償還期限
1993年(昭和68年)10月20日(アムステルダム時間) - 払込期日および発行日
1983年(昭和58年)7月15日(アムステルダム時間) - 利払日
毎年4月20日および10月20日 - 転換の条件
転換価額 2,440円
転換請求期間 1983年(昭和58年)7月20日から1993年(昭和68年)10月14日まで - 募集方法
欧州を中心とした海外(アメリカ合衆国を除く)において公募
なお,両社債とも,当社の好調な業績に加えて,積極的な経営姿勢ならびに株式市場において当社株式の好評なことが評価され,国内転換社債は7月9日,ギルダー建転換社債は7月15日,それぞれ全額の払い込みを完了した。
設備の効率化と生産能力の増大
1980年代に入って,当社は,設備投資についても引き続き積極的に進め,各種製品生産設備の増大あるいは効率化・研究開発設備の充実化を図った。生産設備については,足柄工場のインスタントカラーフィルム製造設備・小田原工場のビデオテープ製造設備・富士宮工場の感圧紙製造設備・吉田南工場のPS版製造設備など,各工場の製造設備の増強を図り,生産能力を拡大した。また,各種工場の合理化・省力化投資も間断なく進め,設備の効率化とコストダウンを図った。オランダの写真感光材料工場の建設も進めた。
一方,研究関係についても,1981年(昭和56年),宮台技術開発センター,翌年,磁気記録研究所の新棟も完成したほか,その他の研究所の研究設備も拡充・強化を進めて,研究効率の一層の促進を図っている。
1980年度(昭和55年度)から1984年度(昭和59年度)の5年間の設備投資額は,累計で,約2,000億円に達した。
当社株式の分布状況
1984年(昭和59年)4月20日現在での当社株式所有者別状況と大株主は,下記の別表の通りである。
株主数としては,国内2万6,237名・2億4,849万9,000株に対し,海外は1,122名・1億2,093万7,000株となっている。
所有者別の状況
株式数(千株) | 割合(%) | |
---|---|---|
金融機関 | 157,272 | 42.6 |
証券会社 | 5,323 | 1.4 |
その他法人 | 26,354 | 7.2 |
外国人 | 120,937 | 32.7 |
個人・その他 | 59,550 | 16.1 |
合計 | 369,436 | 100.0 |
大株主
氏名または名称 | 所有株式数(千株) | 発行済株式総数に対する割合(%) |
---|---|---|
モックスレー&カンパニー※ | 25,542 | 6.9 |
日本生命保険相互会社 | 21,061 | 5.7 |
三井信託銀行株式会社 | 18,213 | 4.9 |
株式会社三井銀行 | 16,336 | 4.4 |
ザ・チェースマンハッタンバンク N.A.ロンドン | 9,117 | 2.5 |
株式会社横浜銀行 | 8,690 | 2.4 |
ダイセル化学工業株式会社 | 7,658 | 2.1 |
大正海上火災保険株式会社 | 6,540 | 1.8 |
三井生命保険相互会社 | 5,900 | 1.6 |
株式会社住友銀行 | 4,736 | 1.3 |
- ※ モックスレー&カンパニーは、ADR発行のため預託された株式の名義人
業績の推移
1983年度富士フイルムニュース
(株主への事業概況の報告)とAnnual Report
1980年代の日本経済は低成長の時代に入り,いろいろな分野でこれまでと違った対応を迫られてきている。
この間,物価は比較的安定して推移し,当社にとって死活の問題であった銀の価格も,みぞうのシルバーショックを過ぎて,ここしばらく小幅な動きにとどまっており,いくぶん愁びを開いた感じではあるが,見通しは依然難しい状況である。こうした環境下にあって,当社は,1980年(昭和55年)5月に就任した大西社長のもと,一致団結して,新しい観点から設定した「V-50計画」をはじめとする諸計画の達成にまい進した。また,この間,当社は,各分野にわたり新しい技術開発による新製品を次々に導入し,“技術の富士フイルム”の名を高からしめた。
1981年度(昭和56年度)は,わが国経済は,民間設備投資および輸出はほぼ堅調な動きをみせたが,個人消費は期待ほどの回復がみられず,景気回復の足どりははかばかしくないままに推移した。
当社関連業界は,景気停滞の影響から,一部製品を除き国内市場の需要が伸び悩み,全般に厳しい販売競争が展開された。この中で,ビデオカセットテープを中心に,磁気記録材料市場は国内外にわたり急速な拡大を続けた。
このような環境下にあって,当社は,引き続き,研究開発の一層の強化による製品ラインの整備充実,積極的な販売施策,輸出の増強および磁気記録材料を中心とした非感光材料製品の拡販を図り,この結果,1981年度(昭和56年度)の業績は,
売上高 4,468億円 (対前年度10.4%増)
うち国内 3,024億円 (対前年度9.5%増)
輸出 1,444億円 (対前年度12.4%増)
輸出比率 32.3%
を得た。利益については,研究開発費・減価償却費などの増加,円高,特に欧州通貨の下落などがあったが,他方,販売の拡大・合理化の徹底などの企業努力と原材料価格が比較的安定に推移したことなどによって,
経常利益 771億円 (対前年度70.2%増)
当期利益 362億円 (対前年度129.8%増)
となり,特に利益面で急回復を果たすことができた。
なお,当年度の連結売上高は,国内3,516億円(対前年度11.7%増),海外1,685億円(同11.3%増),合計で5,201億円(同11.7%増)を計上し,また,損益面では,当期連結純利益492億円(同52.2%増)と,大きく好転した。
1982年度(昭和57年度)は,わが国経済は,個人消費や民間設備投資ともに低迷し,輸出にもかげりがみえるなど,総じて景気回復はいまだしの感が深く,一方,海外もおしなべて経済の停滞が続き,全般に不況の様相の色濃い状況が続いた。
当社関連市場も,景気停滞の影響を受けて,全般に需要は伸びず,拡大を続けていた磁気記録材料の販売も期末には伸びが鈍化し,販売競争が激化した。
このような厳しい経済環境下にあって,当社は,新製品の発売や販売促進策の強化,そしてサービス体制の充実など総合的販売諸施策を実施し,
売上高 5,109億円 (対前年度14.4%増)
うち国内 3,430億円 (対前年度13.4%増)
輸出 1,679億円 (対前年度16.3%増)
輸出比率 32.9%
と,初めて年間売上げ5,000億円の大台を確保することができた。
利益については,引き続き販売経費・研究開発費・減価償却費などの増加があったものの,販売増や合理化等の企業努力,原材料価格の安定推移と為替の円安傾向などから,
経常利益 966億円 (対前年度25.3%増)
当期利益 474億円 (対前年度31.2%増)
と,ほぼ順調な業績をあげることができた。なお,株主への配当金は,1株につき1円増配し,中間配当金と合わせて年8円50銭とした。
また,当年度の当社連結売上高は5,874億円(対前年度12.9%増),このうち,国内は3,894億円(同10.7%増),海外は1,980億円(同17.5%増)を計上した。損益面では,当期連結純利益571億円(同16.0%増)となり,増益基調を維持した。
1983年度(昭和58年度)は,わが国経済は,依然として個人消費および民間設備投資とも低迷し,輸出についても,後半,米国向けなどにやや明るさが見えてきたものの,全体としては景気は停滞したまま推移した。
当社の関連市場についても,一般写真製品市場や業務用製品市場とも,需要が伸び悩み,特にカメラの需要は低調であった。また,磁気記録材料製品市場は,従来の大幅な伸びが鈍化し,各社の生産能力の増強に伴い,品質と価格両面での競争がさらに激化した。
このような厳しい環境下,当社は,“フジカラーHRフィルム”シリーズや医療用X線診断システム“富士コンピューテッドラジオグラフィー”をはじめ,数々の新製品を導入し,積極的な販売活動を展開した。
一般用写真製品部門では“フジカラーHRフィルム”やカラーペーパーの販売増加が光学製品の減少をカバーし,磁気記録材料製品部門では,各種OA機器の普及に伴い,フロッピーディスクの伸長がみられたものの,主力製品である家庭用ビデオテープの激しい価格競争により,全体としての売上高は小幅の増加にとどまった。また,業務用製品部門では,X-レイフィルムおよび印刷製版用材料の需要低迷が続く中で,当社は積極的な販売施策を展開して前年度を上回る実績を保った。
この結果,1983年度(昭和58年)の業績は,
売上高 5,450億円 (対前年度6.7%増)
うち国内 3,554億円 (対前年度3.6%増)
輸出 1,896億円 (対前年度12.9%増)
輸出比率 34.8%
を計上した。
一方,利益は,磁気記録材料の主力製品である家庭用ビデオテープの激しい価格競争による販売価格の低下や研究開発費の増加などの要因により,経常利益は934億円(対前年度3.3%減)にとどまったが,当期利益は491億円(対前年度3.7%増)となった。また,1983年度(昭和58年度)期末の自己資本比率は,54.6%となった。株主への配当金は,創立50周年記念を含めて,中間配当金と合わせて,1株につき1円増配し,年9円50銭とした。
当年度の連結売上高は6,336億円(対前年度7.9%増),このうち,国内は4,051億円(同4.0%増),海外は2,285億円(同15.4%増)を計上した。また,当期連結純利益は585億円(同2.4%増)となり,増益基調を維持した。これは,激しい販売競争,増加する販売経費・研究開発費,およびブラジルにおける通貨の大幅切り下げなどに対して,より徹底した合理化努力と販売の拡大を図った結果,もたらされたものであった。
創立50周年を迎える
創立50周年記念マーク
1984年(昭和59年)1月20日,当社は創立50周年を迎えた。企業の歴史として,50年は必ずしも長い期間ではないが,企業成長の大きな節目として記念すべき日であった。
創業以来今日まで,社会各方面から当社に寄せられた暖かい支援に感謝し,そして,内にあっては会社の発展を支えてきた幾多の先輩の労苦に思いをいたし,この日から始まる新たな半世紀への旅立ちの決意を役員・従業員ともども,それぞれの胸に刻みこんだ一日であった。
この時点での当社を取り巻く環境は,大きく変化しつつあった。
1980年代に入って,当社が現在まで推進してきた写真ならびにその関連分野の市場は,世界的に市場の成熟化が顕著になってきた。成長分野と目されている磁気記録材料分野での競争はますます激しくなっている。また,すべての市場分野において市場ニーズの大きな変化とエレクトロニクス技術をはじめとするハイテクノロジーの急進展が見られ,これが当社事業の各分野に大きな影響を与えている。
このような環境の変化に対処するために,創立50周年記念日に先立って,1983年(昭和58年)10月21日,すなわち,1984年度(昭和59年度)の年度始めに当たって,大西社長は,年度の基本方針を「強力な商品戦略の展開による新たな成長への挑戦」の一点に集約して打ち出した。
「次の半世紀に向けて新たな道を切り開き,生き残ってその発展と繁栄を確保していくためには,他者に先んじた強力な商品戦略の全社的な展開と推進が唯一の道である」と強く訴えた。
このような背景のもとに迎えた創立50周年の記念日であった。
50周年を迎えるに当たり,この1年を通じて使用する記念マークを制定した。
このマークには,「Imaging the Future(未来を映す)」というスローガンが添えられた。未来に向かっての新しい出発の日という当社の50周年を迎える基本姿勢を象徴する言葉であった。
富士フイルムグリーンファンド
設立許可書の交付
(左から三井信託銀行山中会長,
環境庁梶木長官,当社大西社長)
富士フイルムグリーンファンドのポスター
創立50周年記念映画
「サイエンス・グラフィティ -
科学と映像の世界」のタイトル
50周年記念施策についても早くから検討を行なってきたが,単なる祝事やお祭り騒ぎ的な行事に終わらせることなく,実質的な社会還元につなげる主旨で,「富士フイルム・グリーンファンド」の設立と記念映画「サイエンス・グラフィティ - 科学と映像の世界」の製作という二つの事業をメインテーマとして絞り込んだ。
「富士フイルム・グリーンファンド」は,当社の顧客・取引先・関連業界をはじめ,当社に暖かい支援をいただいた社会全般に対する謝意をこめて設立した公益事業助成のための基金で,新しい公益活動の制度として,今後広範な普及が見込まれている公益信託の形態をとっている。活動の対象としては,社会的な関心の大きい自然環境の保護育成,とりわけ環境緑化の推進を取り上げ,1983年(昭和58年)10月,内閣総理大臣の許可を受けて発足した。
基金規模10億円,これは公益信託としてはわが国最大の規模であり,受託者三井信託銀行により運営されるが,今後の活動には大きな期待が寄せられている。
一方,「サイエンス・グラフィティ--科学と映像の世界」は,科学映画の発達史を背景として,映像が科学の進歩に果たした役割を広く理解してもらうことを目的に,これまでわが国で製作された科学映画の代表的シーンと現代のすばらしい映像技術を駆使した場面とを1本の記録映画に編集し,後世に残そうというものである。この映画は,岩波映画製作所とタイアップして製作し,1984年(昭和59年)1月に完成,各地の主要なフィルムライブラリーなどに贈呈した。
ちなみに,「サイエンス・グラフィティ - 科学と映像の世界」は,文部省選定映画に選ばれたほか,第25回科学技術映画祭や日本産業映画コンクールで「グランプリ」に,1984年優秀映像選奨では教養部門の最優秀賞に,それぞれ選定された。
このほか,創業以来の社史をとりまとめ,「富士フイルム50年のあゆみ」を製作するとともに,海外向けに英文版略史「50 YEARS OF FUJI PHOTO FILM」を刊行することとした。また,春木相談役から寄贈された蔵書を収めた「春木文庫」を,足柄本社に開設した。
創立50周年記念式典(東京本社)
1984年(昭和59年)1月20日,社内では,ごく内輪に,創立50周年の式典を事業場単位で挙行した。
東京本社と足柄工場の式典では,平田会長・大西社長・春木相談役がこもごも壇上に立って式辞を述べた。大西社長は,この日を「新しい創業の出発日」として,次のような言葉で,その式辞を締めくくった。
「今日の日を,単純に過去を回顧する日とするのではなく,これからの新しい創業の日と受け止めたい。今後の競争は,ますます厳しく多難なものとなろう。創業の歴史が示すように,結局は品質が全てであるが,そのうえに立って,これからの時代を先どりする新しい商品を他社より先に生み出していくことが,今後の激しい競争と変化を生き抜く唯一の道である。
富士フイルムの栄光ある未来を信じ,21世紀へ向けて,着実な成果を重ねつつ,われわれの進む道を築いていこうではないか。」
新たな出発に向けて新製品の発売
創立50周年の記念式典で新たな出発を期した当社は,引き続いて,創立50周年を記念する幾多の新製品を発売した。
フジカラーHR1600(35mm判)
フジカラーHR1600で撮影したカラー写真
「ロウソク1本の光でカラー写真バッチリ」と新聞やテレビで報道された世界で最高感度のカラーフィルム“フジカラーHR1600”は,まさに,創立50周年を記念するにふさわしい画期的な新製品で,感度ISO1600,これまでの世界フィルムの中での最高感度で,しかも高画質の35mm判カラーネガフィルムである。国内市場には1984年(昭和59年)3月発売,海外市場にも,翌4月から船積みを開始した。
この新製品の誕生によって,その場にあるわずかな光だけで,その場の雰囲気を生かした自然な写真が撮れるようになった。また,スポーツなどの動きの速い被写体を高速シャッターで瞬間的にとらえる写真,あるいは,被写界深度(被写体の前後のピントの合う範囲)の深い写真が撮れるなど,写真の撮影範囲を飛躍的に広げることができるようになった。
この“フジカラーHR1600”は,その前年の1983年(昭和58年)に発売した“フジカラーHRシリーズ”を生み出した技術に,さらに発展させた二つの新しい技術を加えて完成したものである。
その一つは,新型の二重構造粒子(Advanced Double Structure Grains)の開発である。この技術の開発によって,高感度化に必要な機能をハロゲン銀粒子内部に正確に組み込ませることができるようになり,従来の感度の限界を克服することができた。いま一つの新技術は,A-カプラー(Image-Amplifier Releasing Coupler)の開発である。このA-カプラーの開発によって,カラー現像の際に,感光した写真乳剤粒子を効率よく色素像に変換させることを可能にし,粒状を粗くすることなく,高感度の画像をつくり出せるようになった。
一方,カラーペーパーについても,ニュータイプの“ニューフジカラーペーパー タイプ01”を開発し,同年4月から市場導入を開始した。“ニューフジカラーぺーパー タイプ01”は,カラープリントの色像保存性を飛躍的にレベルアップしたもので,また,色再現・階調・シャープネスなどのすべての品質も改良され,総合品質において世界最高水準を目指すものである。“フジカラーHRフィルム”と“ニューフジカラーペーパー タイプ01”の組み合わせによって,より高品質の美しいカラー写真をユーザーに提供できるようになった。
富士ミニラボチャンピオン28
また,処理プロセスの面では,ミニラボシステムとして,新たに,“富士ミニラボチャンピオン28”を開発,1984年(昭和59年)6月に発表した。プリント仕上げまでわずか28分のハイスピードで処理できる画期的なシステムで,水洗処理がほとんどいらない現像処理方式(FLRプロセス)を採用している。
Newフジクローム400プロフェッショナルD
フジクローム1600プロフェッショナルD
フジカラー160プロフェッショナルS
フジカラー160プロフェッショナルL
一方,35mm判カラーリバーサルフィルムの分野でも,1984年(昭和59年)3月,ISO400デーライトタイプ“Newフジクローム400プロフェッショナルD”を,翌4月には,新たに超増感処理システム(PZ増感システム)と,この処理システムによって,ISO1600およびISO3200で撮影できる世界最高感度の高画質タイプ“フジクローム1600プロフェッショナルD”を発売した。このフィルムと処理システムは,スポーツ・報道分野でのプロフェッショナル写真家の強いニーズに応え,ロサンゼルスオリンピックを機に開発したもので,ISO1600・ISO3200の超高感度撮影領域において,世界最高水準の高画質を実現した。
また,“フジクローム1600プロフェッショナルD”用として開発されたPZ増感現像処理は,今までの現像液では現像できなかったような小さな潜像(露光によって写真感光層に作られる目に見えない像)をも現像可能とするもので,大幅な感度の上昇が得られ,新たな超高感度の世界が開かれることになった。
また,同年9月には,高感度(ISO160)のプロ用カラーネガフィルム“フジカラー160プロフェッショナルS”・同“L”を発売した。
映画用フィルムの分野では,世界最高感度を有する映画撮影用“フジカラー高感度ネガティブフィルム”(露光指数500)を開発した。
フォトラマ800システム
(フジインスタントカメラ800S,800AF,
フジインスタントカラーフィルムFI-800)
フジインスタントカメラ800X
フジインスタントカラーフィルム
FI-160
フジインスタントフォトシステムとしては,1984年(昭和59年)3月,世界最高感度(ISO800)の“フォトラマ800システム”を発売した。
“フォトラマ”は,発売以来,色の美しい高品質のインスタント写真システムとして好評を得,着実に市場の拡大に寄与してきたが,さらに市場の伸長を目指し,世界初の高感度800システムを開発した。“フジインスタントカラーフィルムFI-800”は,一段となめらかな階調,微粒子でシャープな画像,自然な肌色の描写,濁りのない色再現など,優れた特長をもったフィルムで,かつ,世界で初めてISO800の感度を実現した。
また,“フジインスタントカメラ800AF”・同“800S”は,MAC方式(Mixed-light Automatic-Exposure Control,周囲の光とストロボの光をカメラが最適露光に自動制御するシステム)によるストロボ自動発光で,撮影領域を一段と拡大した。室内・屋外,順光・逆光のいかなる場合でも美しい写真が得られ,また,その優れた操作性ときめ細かい設計が注目されている。
さらに,1984年(昭和59年)5月には,大型外部ストロボを装着できる“フジインスタントカメラ800X”と接写用の“フジインスタントクローズアップユニット800X”を組み合わせた“フォトラマ800Xキット”を発売した。25cmの接写もできる専用のクローズアップユニットを使うことによって,簡単にシャープで色鮮やかな接写が楽しめるようになり,“フォトラマ”の利用範囲が大きく広がることとなった。
また,同年6月には,プロ写真分野,産業分野向けに,“フジインスタントカラーフィルムFI-160”〔8.9cm×11.4cm(4×5)〕と“フジインスタントバックMS-45”の組み合わせによる“フォトラマ4×5システム”を発売した。フジインスタントカラーフィルム“FI-160”は,4×5サイズのインスタントフィルムでは世界で初めての自己現像・自動排出方式(モノシートタイプ)を採用したものであり,また,“フジインスタントバックMS-45”は,一般用4×5カメラおよび通常の4×5フィルムホルダーを使っている各種撮影記録装置にそのままワンタッチで装着できる専用バック,フィルムの自動送り出し,撮影とフィルム送り出しの連動など,数々の特長を備えている。
この“フォトラマ4×5システム”の発売により,営業写真・商品写真やファッション撮影などのコマーシャル写真・コンピューターグラフィックなどCRTカラーハードコピー・顕微鏡写真・複写などの産業分野への応用と,業務用フォトラマの活動領域をさらに大きく広げていった。
引き続き,ビジネスやプロフェッショナル用インスタント写真システムとして,高品質の「フォトラマFPシステム」を開発,同年9月から発売した。このシステムは,国産としては初のピールアパートタイプ(はく離方式)のインスタントフィルム(カラーフィルム“FP-100”および黒白フィルム“FP-3000B”)と,証明写真用ストロボ内蔵カメラ(“FP-14”および“FP-12”),写真入りIDカードが作成できるフォトラマIDカードシステム(ラミネーター・ラミネートフィルムなど)で構成される。従来のフォトラマ製品と合わせて,フジインスタントフォトシステムは,さらに幅広い分野で活用されていった。
フジインスタントカラーフィルム
FP-100
フジインスタント黒白フィルム
FP-3000B
フジインスタントカメラ
FP-12
フジインスタントカメラ
FP-14
35mmレンズシャッターカメラの分野では,1984年(昭和59年)3月,自動焦点カメラ“フジカオート7”シリーズに精度の高いデジタルクオーツ時計を内蔵した“フジカオート7QD”を発売した。
さらに,多様化するユーザーのライフスタイルとそのニーズに合わせて,エレクトロニクス技術の粋を駆使して,常に失敗のない写真の実現を目指して,これまでのコンパクトカメラのイメージ・デザイン・機能性のすべてを刷新する新しいコンパクトカメラの商品化を企画した。あらゆる「オート」をフル装備した超軽量ハイテク全自動カメラ“カルディア”と“カルディアデート”,携帯性の優れた新しいファッション感覚の“ルチア”,そして,ヘビーデューティーカメラ“タフガイ”の4機種を整備して,ブランド名も従来の“FUJICA”から“FUJI”に改め,フジコンパクトカメラFACEシリーズ(FACEはFuji Automatic Camera Evolutionの略)として,同1984年(昭和59年)秋に発売した。
また,プロフェッショナル用カメラの分野でも,シャープな画質が得られるEBCフジノンW60mmレンズを装着したセミ判の距離計連動式中判カメラ“フジGS645S”を同年10月に発売。
カルディアデート
ルチア
タフガイ
FUJI FILM 光COM SYSTEM
FMIP7000L
FIRS9600Rシステム
マイクログラフィックスの分野でも,1984年(昭和59年)4月,かねてから開発を進めてきた画期的な新製品として,コンピューターの出力情報をレーザー走査によって,高速・高密度に記録する“FUJI FILM光COM SYSTEM”を発売した。この“光COM SYSTEM”は,新しい金属薄膜記録材料“フジコムフィルムLD”とレーザービームプリンター“FMIP7000L”から構成されている。
さらに,同月,本格的なCARシステム“FIRS9600R”システムを発売した。“FIRS9600R”は,カートリッジタイプの16mm幅マイクロフィルムを使用し,約100万ページの画像情報を収容して自動的に出し入れを行なう世界初のオートストッカー(ファイリングボックス)を接続することによって全自動検索ができ,ディスプレイに表示,同時に高品質の普通紙コピーを得ることができる画期的なコンピューターファイリングシステムである。
また,同月,金融機関向けに,従来の“SR1000”をグレードアップしたロータリーカメラプロセサー“SR2000”を発売した。
富士フイルム
フロッピーディスク
Super HR
富士フイルム
フロッピーディスク
MD2HD Super HR
一方,磁気記録材料の分野でも新製品を次々に発売した。
まず,フロッピーディスクでは,1984年(昭和59年)3月,信頼性・耐久性を一段と向上させた高品質の“富士フイルムフロッピーディスクSuper HR”を発売した。
これは,低温・低湿から高温・高湿までの極めて広範囲な環境条件下で2,000万パス(ヘッド通過回数を示す,JIS規格では300万パス以上)を超える耐久性と安定した入出力特性を実現し,画期的なスーパーハブリングの採用によるセンターホール補強策など,多様化するユーザーニーズに対応させた製品である。また,1984年(昭和59年)7月には,高密度スーパーファインベリドックス磁性体を使用した5.25インチ高密度ミニフロッピーディスク“MD2HD”および““MD2HD Super HR”を発売し,1984年(昭和59年)10月には,3.5インチ“マイクロフロッピーディスク”を発売する。
さらに,ビデオカセットテープでは,これまでの“スーパーHG”の性能を一段と上回る超高画質の“フジビデオカセット スーパーXG H451(VHS用)”と同“H351(ベータ用)”を1984年(昭和59年)4月に発売した。新開発の超微粒子磁性体「スーパーファインベリドックス-II」を採用し,最新技術でテープ化に成功したもので,“スーパーHG”に比べて,さらに画質を40%アップし,HiFi特性も向上させた製品である。
1984年(昭和59年)6月からは,従来の“スーパーHG”に比べて映像を一段と高品質化した,高性能ビデオテープ“フジビデオカセットニュースーパーHG”(VHS用およびベータ用)および同“スーパーHG Hi-Fi”(VHS用およびベータ用)を発売した。“ニュースーパーHG”は,“スーパーHG”に比較して,磁性層の充てん度を20%アップし,また,テープ表面の平滑面を高めたものである,その結果,さらに鮮明なカラー映像を実現し,走行安定性をより高めることができた。また,“スーパーHG Hi-Fi”は,この“ニュースーパーHG”の高画質をベースに,特に,Hi-Fiビデオでの音質特性を盛り込んだHi-Fi専用テープとして開発したものである。
また,同年9月には,“スーパーST”の耐久性を一層充実させ,画質もさらにアップした“フジビデオカセットニュースーパーST”を発売した。
フジビデオカセットスーパーXG
H451(VHS用),H351(ベータ用)
ジビデオカセット
ニュースーパーHG
フジビデオカセット
スーパーHG Hi-Fi
フジビデオカセット
ニュースーパーST
フジカセットGT-II
カセットテープでは,同じく6月から,カーステレオ専用のカセットテープとして,ハイポジションカセットテープ“フジカセットGT-II”(C-46,C-60,C-80,C-90)を発売した。これは,カーステレオの高性能化に伴ない,より高性能のカセットテープが求められ,ハイポジションにも商品化を望む声に応えたもので,先進のサウンド化技術に新開発の「スーパーダイナミックベリドックス」磁性体を採用することにより,完成した。
オーディオカセット市場は,カーステレオ・ヘッドホンステレオ・ラジカセなどの普及によって,アウトドアでのリスニングチャンスがますます活発化しているが,“GT-I”・“GT-II”のGTシリーズの完成により,さらに多くのニーズに応え,過酷な環境下でも「音楽の感動を表現するメディア」として,多様化するカセットテープ市場で大きなジャンルを切り開いていった。
FUJI MONOCHRO SCANNER
SCANART30と専用自動現像機
印刷製版の分野では,1984年(昭和59年)6月,黒白製版用スキャナー“FUJI MONOCHRO SCANNER SCANART30”を発表した。
すでに,カラー製版分野では,カラースキャナーが普及しているが,雑誌などの定期刊行物に利用されている黒白製版分野では,従来からのカメラによる製版方式が主流を占めており,黒白製版分野でも高品質の仕上がりと操作が簡単に行なえる機器の開発を求める声が強かった。このニーズに応え,かつ明室に設置できる高性能スキャナーとして新たに開発した“FUJI MONOCHRO SCANNER SCANART30”は,原稿読取光源に世界初のアルゴン・ヘリウム-ネオンのダブルレーザー方式を採用し,カラープリント原稿からの黒白製版も可能にした平面操作オートローディング方式の画期的なドットジェネレータースキャナーである。
また,従来のリスフィルム明室処理“FSLシステム”をさらにレベルアップした“FSL-IIシステム”と従来の“Super HSLシステム”をさらに迅速化する“GSLシステム”を開発し,同時に発表した。
また,医療用分野向けには,既述したとおり,1984年(昭和59年)6月,“富士ドライケムシステム(GLU用)”を発売した。
また,アマチュア写真の需要範囲を一層広げるために,電子映像の分野に本格的に進出することとし,二つのシステムを,1984年(昭利59年)10月,西独ケルンで開催されるフォトキナ’84に出展し,来春,国内販売することを発表した。
その一つは,銀塩写真とエレクトロニクス写真とを接合したシステムで,アマチュア写真が家庭のテレビで見られる「フジックス テレビフォトシステム」で,ユーザーの手持ちのカラープリントや撮影されたカラーネガフィルムからビデオフロッピーに録画し,再生機“フジックス テレビ・フォトプレーヤー”でテレビに映し出すシステムである。
フジックス-8 ビデオシステム
(試作モデル)
もう一つは,カメラ一体型8mmVTR“フジックス-8 ビデオシステム”で,このシステムは,カメラ一体型8mmVTR“フジックス-8”と8mmビデオテープ“フジックス-8ビデオカセット”で構成されている。“フジックス-8”は,“フジカシングル-8”のマーケティングで得られた8mmホームムービーのユーザーニーズを十分採り入れて企画したものであり,また,ビデオテープ“フジックス-8 ビデオカセット”は,長年にわたるビデオテープの技術の蓄積を生かして開発したタイプA(メタルテープ)とタイプB(蒸着タイプ)の2種類を整備した。
当社は,これらの各分野の新製品の商品化によって,新たな出発に向けて,力強く,その第一歩を踏み出した。